「思い込む」という事は、何よりも「恐ろしい」事だ
自分を『阪神タイガースにすごく詳しい人』だと誰かに思わせるには、阪神のマイナーな選手について、一人分でいいので詳しくなり熱弁することです。これで詳しいと錯覚させられます。もっとも、この方法が通じるのは相手が阪神タイガースにそれほど詳しくなく、本質的には興味を持っていない場合だけですが。
人は、自分が知らないことに関して詳しい人を無防備に「その知識範囲について全般詳しい」と思い込みやすいものです。そこを突いた方法です。
この「相手に思い込ませる」という方法はかなり前から持っていたのですが、最近は、その逆もあるのだなと感じています。
どういうことかというと「自分が知っていることで相手が知らないことがある場合、自分のほうがその知識範囲について全般詳しい」と思い込んでしまうということです。聞き齧った僅かな知識を専門家の人がたまたま持っていなかったことで、その相手の専門家をバカにしたり、自分のほうが詳しいかのような錯覚に陥っているという人。結構居ますよね。原発について多少聞き齧ったことで、誤った発言をした物理学者を「似非」と呼んだりする、そういう人です。これ、凄く怖い思い込みだなって思います。この思い込みにハマった時点で、自分の成長は止まってしまいますから。
かの名殺人鬼・吉良吉影さんはこんな言葉を遺しました。ジョジョの奇妙な冒険 第46巻より引用です。
「思い込む」という事は、何よりも「恐ろしい」事だ
しかも、自分の能力や才能を優れたものと過信している時は、さらに始末が悪い
まさにこれです。
この『自分の能力や才能を優れたものと過信している』という思い込み、ハマりやすい気がします。気をつけなきゃね。何かを聞き齧って一端ひと通りの知識を得たと感じるときにこそ注意が必要です。そういう時こそ冷静に、自分の知識範囲を確認すること。
逆に、誰かが見下したような振る舞いをしてくるとき、相手は『自分の能力や才能を優れたものと過信している』のかも知れません。そのような人に怒りや屈辱を感じる必要はないな。そんなことを思いました。