自信を持つためにやったこと
私自身、元々が自信薄弱でして。色々と弊害を抱えていました。
人間、否定されるよりも褒められ認められる方が嬉しいものです。そのために一番手っ取り早いのが、自分で自分を褒めることなのですが、自信がないと自分で自分を褒めることができません。自らの判断を信じることができてないわけですから。よって他人に褒められることをするようになる。常に他人の評価や反応に左右されてしまうことになります。
世の中、色々な人が居ますから。その人達全員とうまくやって褒められよう認められようというのは、無理があります。他人との関係性の中で喜びを見出すというのは当たり前なのですが、過剰に寄りかかってしまってはそこに振り回されてしまいます。挙句、賞賛を得られない時には自分の理論を暴力的に他人にぶつけることで自らの正当性を確保したくなったりすることもあります。
それって、なんかイケてないなあ、と思ったのです。
そんなこんなで、『自信を持とう!』と考えて半年間。やってみたことをメモしておきます。
今現在、溢れんばかりの自信に満ちているかというと、まぁーそこまでは行ってないんですけどね。過不足ないくらいには自信を持っているつもりです。
小さな約束
簡単な話なんですけれど。
自信を持つというのを言葉そのまま捉えて、自分を信じられるようになろう、と考えました。
では、自分を信じるためにはどうしたらよいか? それも簡単な話で、自分が信じられる人物の人物像になればよい訳です。その人物像がどんなものなのかというのは人によって異なる気がしますが、私は「自分で決めたことをやる人になる」でした。
とても小さなことや簡単なことで良いです。「明日は朝、早めに起きる」「ゴミを見つけたら捨てる」「『でも』『いや』『違う』と言わない」そんなことです。「夕食は自炊しよう」だとか「今日はゆっくりお風呂に入って疲れを抜こう」だとか、そんなことでもいい。簡単とはいえできないこともあるんですが、いきなり完璧にというのは無理ですから、徐々に改善していく。
小さな約束を自分と交わして、守って、守れたことを自分で確認する。これを小さく小さく繰り返して積み立てていく。
他人からの好意を受け止める
自分で自分を信じるために、他人の力も借りようと考えました。
これも単純な話です。自分が信用している人物が好意的に思う人、その人は信用できる可能性が高いだろうということを利用しました。
自分が信用している人物に、自分に対して好意的に思っている部分について教えてもらう。そして教えてもらったことをそのままありのまま受け止めよう、と。
これが、簡単なようで、ちょっと難しいことでした。私にとっては。自信がなく自己受容が低いと、ついつい自己批判をしてしまいます。自分に対するネガティブな情報ばかり受け取ってしまい、自分に対する好意的な評価を受け止められない。「この人はこう言ってくれてるけど……」という思考に入るんですね。で、この思考なんですけど。よくよく考えてみたら「この人はこう言ってくれてるけど……」って、相手のことを信用していないんですよね。相手の意見より自分の感覚を優先してしまっている。だからまずは、相手の言うことをもっと全面的に、一旦信じてみるということにしてみたというわけです。
具体的には、その時なんとなく連絡がついた友人に「私の良い所を教えてくれ」とお願いしました。で、教えてもらったことを、なるほど、と素直に受け止めてみる。
これ、言われた方からしたら、"こいつなんか怪しげな宗教にでもハマってんじゃないか"って感じにもなりかねない。なので、相手を観て聴いたほうがいいかも知れません。
……これだけ。
なんか難しいこととか特効薬的なものがあるというわけではありません。自分の良い部分を見つけて認めていくという、そういうただただ地味な作業の繰り返しです。
ただ、本を読んでいきなり変わるような、インスタントな感覚や自信ってのは、同じようなショックを与える別の何かによって簡単に雲散霧消してしまうでしょうし。そう考えると、悪いことではなかったのでは、と思っています。