じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

悲しいDQN(ドキュン)の連鎖

 先ほど夕食を定食屋で食べていたら、「ご飯を食べたくない」と言った五歳くらいの子供に父親が怒っているのを観ました。どうやらお腹が空いてないらしく、食べられないと。それに対して父親マジギレ。パスタ食えない子供にマジギレ。

 父親の怒りは凄まじいもので、テーブルを叩いて声を荒げ「なんで怒られてるかわかるな!!」と叫ぶ始末。その他、とにかく自分の言いたいことを罵詈雑言に乗せて。横に座ってる他人(私)が引くくらい。
 子供の方はなぜ怒られているのかは理解をしていないようでした。流石に五歳程度の子供に投げかけるにはその問いかけは難しすぎると思うんですよね。「誰が稼いでると思ってんだ!」とか、理不尽でしょ。多分幼稚園児くらいですよ、理解できるわけないじゃないですか。
 しばらくして子供がただ泣いてるところに母親のほうが「『ごめんなさい』は?!」と怒鳴りつけ、結果、子供は泣いて謝っていました。

 観てて思ったのは、その両親の行動がまるでDQNだな、ということ。

 DQNの正式な定義は知らないのですが、私は『自分の要求を一方的に伝えようとする』『考えを伝える術を持たないため、声を荒げ暴力を振るうことで強いようとする』『相手の気持は一顧だにしない』と定義して捉えています。

 その父親がやっていたことは『自分が怒ってることを一方的に伝える』『子ども相手に詫びを求める』の二点です。これはまるでDQNの行動です。どちらも自分自身の為のことであり、非常に自己中。

 子供に怒鳴ったところで、何が伝わるというのでしょう? 叱るにしても、ある程度の答えを示しておかないと「なぜ怒られているのか」は伝わりません。実に理不尽です。

 普段の家庭のあり方は解りませんが、両親のしゃべりかたや内容から、恐らくはいつものことなのだと思います。そう考えたら眩暈がするようでした。

 ここから先は推測になりますが、今後、おそらくは両親が理不尽を繰り返しているうちに「何故か解らないが何やっても怒られる」ということを学習し、怒られていた子供は次第に無気力な子になるでしょう*1。また、子供は親のことをよく観ているもので、親がやることをそのまま真似たりします。理不尽に怒られることを繰り返しているうちに、人に要求を通すために親と同じように怒鳴ったり叫んだりするようになるんじゃあないでしょうか。ほら、そうすると立派なDQNの出来上がり。

 親が子供に与える影響というのは計り知れないものがあります。二十年後、怒鳴られていた子供がどういう親になるのかは解りませんが、想像するに暗澹たる気持ちになってしまいました。

 私自身は教育や育児に関して正解も経験もひとつとして持ちあわせていません。それに、声を荒げて叱りつけざるを得ない状況もあるでしょうから、声を上げるのがすべて悪だと断定できるとも思いません。それでも、一方的に自分の感情のままにただ怒ってることだけを子供にぶつけるのは、とても善策とは思えないのでした。


*1:いわゆるエレファント・シンドローム。注意ですが、エレファント・シンドロームというものが正式に説明された文章などは観たことがありません。自己啓発書などでよく言われるところの、とご理解ください。