大人になってから観る『魔女の宅急便』の「ニシンのパイ」のエピソードがせつないのはどうしてだろう
「コクリコ坂」の宣伝のためのゴリ押しということで、読売テレビは今月をジブリ月間としたようです。
来週放送予定の作品は『魔女の宅急便』。魔女見習いの少女・キキが大人になって社会に出て行く過程を描いた作品としてお馴染み。
その『魔女の宅急便』の中でも印象が強いエピソードのひとつが「ニシンのパイ」の話*1。おばあさんが孫娘の誕生日のために「ニシンのパイ」を焼いて、それをキキが届けるのだけど、孫娘にはイマイチとウケが悪い、というエピソード。初めて観たときは「孫娘は冷たいのう、それは無いで」などと思っていたのですが、大人になってからちょっと見方が変わってきました。
冷静に考えて欲しいんですけど、中学生くらいの女の子が「ニシンとかぼちゃをパイで包み焼きにしてなんとなく魚っぽいビジュアルに仕上げた物」を貰って、どれくらい喜ぶでしょうかね? おばあさんの精一杯のハイカラだけど、子供からしたら結構、地味でしょうし。なので、あの孫娘の反応って、割とリアルというか、今から考えれば「あ、ま、そーっすよね」っていう反応だと思う。おばあさん・キキ目線で観てると「なんじゃこの孫はー!」って思うんだけど、実は結構普通の話。キキには可哀想なんですけれど。
そう、割と普通の話なんですよね、孫娘の反応って。中学生や高校生くらいの頃にそういう経験ってないですか? 周りの人の優しさとか「何かしてあげたい」って気持ちに気付くことが出来なくて、ただ邪険に扱ってしまったり。ただ自分が好きでないって理由だけで考えも浅く罵ってしまったり。今考えてみたらもうちょっと優しくできたよねって思えること、みんなそれぞれちょっとずつあるんじゃあないでしょうか。あんなこと言うんじゃなかったと後悔するようなこと。ある程度の年齢になって「ニシンのパイ」の孫娘を観て思うことって、そういう過去の自分との重ねあわせもあるんじゃあないでしょうか。孫娘がそう言いたくなるのも解らないではないんだけどなあ、って。
おばあさんの「孫娘のために」っていう気持ちも解るし、孫娘の感覚も解ってくる。そしてそれが後からちょっとした後悔を生むんじゃないか、ってのもなんとなく感じ取れてしまう。誰も悪くない。だけど、ちょっとずつ擦れ違ってしまって悲しみを生む。そういうのが徐々に見えてきて、せつなくなってくるんですよね。
『魔女の宅急便』は大人になってから観て、心象が変わってきました。仕事のために上京したりして色々な経験してから観ると、思うところも色々あるのではないでしょうか。今ではジブリで一番好きな映画かも知れません。
……そう思うたび、ああもう私もオッサンなんだなあと痛感したりもするのですが。せつない。
*1:『にしんとかぼちゃのパイ包み』が正しかった気がしますが。