心が腐ってしまったなと思ったら
言葉や振る舞いが「優しさ」なのか「甘さ」なのか、どちらになるのか。結果だけ見れば、相手が育てば優しさだし、腐れば甘さって言われます。
じゃあさ、逆に考えられないですかね。自分が腐ってしまったら、自分に優しくしてくれた人の厚意を甘さという毒に変えてしまうことになるんじゃないかって。
私には過去に腐ってた時期が有りました。その頃は他人の優しさに依っかかっているのが当たり前で、自分が依存していることにも気付いていなかった。出来ない言い訳ばっかり全力で考えて、なんにも行動していなかった。そうやって、人の厚意を無にするどころか毒にしていました。
今となっては、厚意を持って接してくれていた友人ともそんなことあったなって笑い話で言えるけど、もう話せない人も居ます。亡くなった祖父母は常に私のことを気に掛けてくれていたのに、腐ったところしか見せられなかった。そうなるとね、後悔しかしなくなっちゃうんですよね。
「後悔するな、反省しろ」とは言うけど、後悔しないなんて出来やしない。後悔の花壇みたいなのが心に有って、それは見たくも無いのに時折視界に入ってくる。そして腐っている間はずっと後悔の種を溜め込んでいく。だからね、その後悔の種が花開く前に腐るのを辞めた方が良い。
難しいけどね。誰かのためって思ったら出来ないかな。自分の為に割かれた時間を、厚意を毒にせずに薬にするにはどうしたらいいか?って。そうしたら、きっと少し前向きになれるはず。