自分に対する優しさだと考えれば少し楽になるんじゃないのかな
答えの無いことに答えを求める姿勢に意義を求めるエントリー。
Yuu 和代 Arimura @y_arim |
「自分に厳しく、他人に優しく」って一方的に損してばかりじゃないかと思うのだけれど、違うのか。(2010-01-02 13:10:12)*1 | link |
逆を考えてみましょう。以前のエントリーでこんなことを言わせてもらいました。
言葉や振る舞いが「優しさ」なのか「甘さ」なのか、どちらになるのか。結果だけ見れば、相手が育てば優しさだし、腐れば甘さって言われます。
心が腐ってしまったなと思ったら - じゃがめブログ
さて、では厳しいの反対は、なんなんでしょう?
人間、厳しくしないとどうなるか。これは、結果だけ見れば「腐ってしまう」ことのほうが多い。強烈に己を律して高僧みたいな集中力を放つ人間ならまだしも、普通の人間が、自らに厳しくなければ腐ってしまうのが常です。
だから、厳しいの反対は、『甘い』『緩い』辺りです。じゃあその『甘い』『ゆるい』の反対は何か。私は、そこに『優しい』もあると思う。甘やかさない優しさ。そういった部類の優しさ。
論理的には無茶苦茶ではあるんですけどw 「自分に厳しい≒自分に優しい」と、こうなると思います。
例えば、新しく何かを学ぶことはとてもつらく、エネルギーが必要なことです。未知なことを始めたり興味を持てないことについて調べたりするわけですから。そこに甘さがあっては、もういいやってなって前に進めないことになってしまう。それは少なくとも後々の自分にとって優しくない。自分に厳しくすると言うのは、将来の自分のために今の自分に軽く鞭を入れる行為だとも言える。それは、損になるんでしょうか?
それに、他人に優しくすること=損でもないはず。他人に優しくすることが何か物理的に与えることだけだというなら損かもしれませんけど、違いますよね。情けは人のためならずとも言います*2。
『自分に厳しく、他人に優しく』と言うのを「率先して損なことをしましょう」という意味だと捉えている人は意外と多いようです。ですけど、その捉え方をちょいっと変えてみませんか。
「先を見据えて、誰もが幸せになれる道を模索しましょう」という意味に捉えなおせれば、もうちょっと前向きに考えられると思うのです。
『自分に厳しく、他人に優しく』、いい言葉じゃあないですか。