じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

アンコントローラブルなことをとやかくしようとしてもストレスが溜まるのみ

【炎上】ホリエモン、新幹線で泣く子供に対し「舌打ちもしょうがない」「睡眠薬飲ませればいい」と発言 - NAVER まとめ
堀江さんは意外と子ども思いないい父親だと僕は思いますよ? - かくいう私も青二才でね

 まず、子どもってアンコントローラブルじゃないですか。親にとって子どもはラジコンではありませんし、ましてや所有物でもありませんから、操縦することはできません。更に『私』にとって、子どもを連れている親御さんもアンコントローラブルですよね。他人ですから、行動を制限したり何かを強制することはできません。
 ということは、『子どもを連れている親御さんに子どもを制御させて黙らせる』ってほぼ無理ですよね。アンコントローラブルもいいとこ。

 アンコントローラブルなことに着目してどうにかしようとするとストレスが溜まるばかりです。どうにかすることはできないし、どうにもならない。そういうときは私はできるだけ気にしないように意識を別のところに向けるようにしています。だって、自分がしんどいから。余計イライラするだけですからね。

 イライラすることってあると思うんです。疲れているときにギャーッと騒がれたら内心で「勘弁してよ……」と思うかも知れませんし、そういう感情を持つのが悪人だということではなく。人間が増えれば増えるほど接触するストレスは増えるのに、敢えて解決不能なストレス掛かる事案に目を向けてイライラを重ねんでも、っていう風に思いますがみなさんいかがお過ごしですか。冬も深まり寒い日が続いていますが、お元気ですか。

議論と感情について

 議論から感情を抜くのは、立場の異なる者が感情を交えれば『より感情の強い方が勝つ』という場になり、ヒステリックが正義になってしまい、結果として冷静な者の感情が蔑ろにされるからであって、感情を大事にするからこそのことです。理屈を整理して場の統一的な理想を立て、その上で「でも感情的には○○だよね」を慮ることで建設的な話が始まります。
 感情は調味料みたいなもので、無ければ味気ないが最初から塩! 胡椒! 塩! 胡椒! とぶち込んで行ったら訳解らなってしまいます。だから議論は感情は抜きに、しかしその議論は感情に立脚するということを弁えて進めれば良いのではないか。そんな風に考えておりますがいかがでしょうか。

電動鼻毛カッターのムズムズしない使い方を発見しました

 電動鼻毛カッターって、使うと鼻がムズムズして涙までもが出ませんか? 鼻毛切りすぎて風邪引いたり……私はそうなってしまっていたのですが、ムズムズしない方法を発見しましたのでメモしておきます*1


1.鼻息をムフーンと吐いて鼻の入り口(出口?)辺りの余計な毛を外に追い出す
2.余計な毛が外に飛び出している間に鼻を摘んで毛を外に挟みだす
3.飛び出している鼻毛を電動カッターでボボボボボとカット

 これだけでございます。広告などにあるように鼻に電動カッターを捩じ込んで毛を切ると、微細な振動が毛を伝わって毛根から鼻の粘膜を刺激して鼻水とくしゃみと涙までもが出てしまうのですが、鼻を摘まんでしまえば鼻の入り口で振動が止まって毛根まで到達しないというわけ。切りすぎて鼻毛の役割を果たさなくなるなんてこともなくなります。ついでに、鼻に捩じ込まないのでやや衛生的かつ刃が錆びにくいというメリットもあります。
 この方法でやるとおおよそOKなんですが、それでもちょっとフライングゲット気味に飛び出してくる毛はありますので、そういうのはチョリチョリっとカットすれば一網打尽でございます。まぁそこはちょっとした我慢ってことで。

 ちなみに、私が使っているのはこちらのカッターです。こういうエントリーの常で宣伝を貼っておくことにしましょう。

 このような感じで電動鼻毛カッターのいい感じの使い方の共有をもちまして、新年のご挨拶とさせていただきます。
 今年もよろしくお願いします。

*1:もしかしたら割りと周知の話なのかも知れませんが、どうにも情報が見つかりません。

すべての行動が性格から表れるという訳ではない

 人は他人の行動を観たとき、それがその人の性格から現れる行動だと考えがちです。ゴミをポイ捨てするのはマナーがないからだと考え、遅刻した人はズボラで意識が低いからだと考える。世の中には『相手の性格を行動から見抜く方法』が山ほどあって、行動には性格が表れると説いています。この意識の方がどうやら大多数で、性格から行動はほぼ確定する、ということのようです。人の内部に問題があると考える。

 しかし、自分の行動を鑑みるときは状況から表れる行動だと考えがちです。ゴミをポイ捨てするときは近くにゴミ箱がずっとなかったのにゴミを持ち込めない場所に入ろうとしているからだ、などと考え、遅刻した時は前夜の仕事が遅くてどうしても起きられなかった、電車が混んでいて遅れた、などと、『そうせざるを得ない状況だった』と考える。これでは性格から行動は確定しないこととなり、人の外部に問題があるという考えのため先程の考え方と異なります。

 性格か状況か、行動を決めるのはケースバイケースなのでしょう。性格によって表れる行動もあれば、状況下によってやむない行動もある。

 人の行動の結果を鑑みるときに性格による結果だと考えると、どうしても属人的になり状況に対する思考に至らない。にも関わらず、自分に対してはできる状況への配慮が他人にはできなくなる傾向があるのです。問題だと思われる行動が解決しない理由はそういうところにあるのではないでしょうか。他人の問題だと思われる行動を観た時に『その人の性格がダメだから問題が発生している』と決めつけてしまってはいやしないでしょうか。

 私自身を顧み周囲の人間を観てそうだというだけですべての人がそうであるという訳ではない、というエクスキューズを入れさせていただき、締めのご挨拶とさせていただきます。

原因を個人に追及する『なぜ』の繰り返しはチームでおこなうべきではない

ミスしたときの「なんで?」が怖い

 上司と部下の間で『なぜ』を繰り返して問題を追及する際は、とりかかる前に『目的の共有』が必要です。その前提として『個人の能力にそれほど差は無い』ということの認識が必要です。

 チームで『なぜ』を繰り返すことの目的は環境に関する原因追及であり、原因改善による再発の防止です。見つかった原因に対して、できるだけ効率的にリソースを使って対応して再発を防止するのが目的です。

 このブログでも度々書いているかとは思うのですが、問題の原因を個人の属人的なところに求めると失敗します。属人的なことが原因だとしたら、その原因に対する改善もまた属人的なものになります。つまり、誰かを悪者に仕立て上げてその人に詰め腹を切らせるか、誰かを間抜けとしてその人に「能力の不足が原因だから頑張れ」というしかない。そうすると、上司であったり周りの人間ができることは無くなってしまいます。つまり、次回の再発防止の為に周囲ができることが無くなってしまうというわけです。これでは効率的ではありません。

 個人の能力にはあんまり差がない、というのもまた重要です。もちろん、積み上げてきた学力であったり思考の厚みによって差はあります。が、会社とかで同じグループに属している人間は、だいたい同じような能力です。飛び抜けて能力が有ったり頭がいい人間は同じ場所には集まり難いです。ということは、同じようなミスを同じような能力を持った別の人がやってしまうことだって当然有る、ということです。問題の原因をミスした人に押し付けてしまうということは、他の人が同じようにミスをして問題を起こすことを抑止しないということになります。

 よって、問題の原因を個人に追及してはならないのです。

 目的はあくまでも『環境や状況に潜む問題を追及すること』であって『ミスをした人を責めるためのこと』ではない、と共有することです。ミスした本人が自問するのは一人でやってもらうことであって、その場でやることではありません。その辺りが共有されていないと、ミスした側は詰め腹を切らされるという意識しか持てず、結果何も変わらないということになるのです。

 引用元のようなエントリーが出るということは、コミュニケーションが不足しているのではないかな、と思います。

クックパッドに載っているレシピで料理を作ってくれても嬉しい

付き合ってる子に、「これ、クックパッドに載ってたの」って嬉しそうに料理を出されても、なんだか微妙な気分になっちゃうもの。その子としては好きな人に不味いものは食べさせたくないし、料理下手だと思われたくないっていう愛情と自尊心がそれをさせたのだろうけど、食べる側にしたら少々自分の舌に合わなくたって、作ってくれただけで十分嬉しいんだから。たとえそれがどうしようもない失敗作だとしても、「どうしたらこうなるの!?」って意外と楽しくはしゃげたりもするのさ。

増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 ちょっと何を言っているのか解りませんが……作ってくれただけで十分嬉しいなら、それがクックパッドに載ってたものでもなんでも嬉しいもんだと思いますが、どうなんでしょう。

もし、クックパッド至上主義な女が嫁になって、人様の家庭のレシピばっかり毎日食卓に並んだら本当イヤ!

増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

自分流でいろいろ試して失敗したり、思いがけず美味しい味覚に出会えたりっていう積み重ねこそが、その人が作る料理の個性につながって、ゆくゆくはその人の味になるんだと思うの。

増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 この記事を書いた人は何か思い違いをしているようですが、レシピを参考にしても調味料が違う、調理器具が違う、火力が違う、タイミングが違う……様々な理由によってまったく同じ味のものはできません。それができるんだったら料理人の一流・二流とはなんなのかということになりますよね。どうやっても違いは出てくるものです。その上で、好みの方向にさじ加減を変えていくことで、個性につながっていく。

 守破離という言葉があります。何事もベースを作り、その上でベースを破ることが必要です。ベースにクックパッドを使ったっていいじゃあないですか。試行錯誤しているうちにクックパッドと異なる料理になっていきます。

 単純に便利で良いと思いますけれどもね。集合知の最たるものじゃあないですか。
 クックパッドを参考にするのがダメなんだったらkakaku.com食べログを参考にするのもダメでしょ。

 ちなみに、過去にこんなエントリーを書いていました。
 学びと真似と個性 - じゃがめブログ
 容易に学べる環境があるんだから、どんどん利用すると良いと思いますが、暑い中みなさんいかがお過ごしですか。

日傘、使っています(30代男性からのご意見)

 H-Yamaguchi.net: 「男の日傘」について
 ちょっと何を言っているのか解りませんが、『男の日傘』ではなくて『日傘』が、そもそも『傘』がダメってことなんでしょうか? ぶつかったときの危険性に性差はないことですが。

 かくいう私は日傘を使っていたりします。快適ですよ。
 まず、体調管理の面から。日差しの強い日に外を歩くと、身体の表面だけ暖められて汗をかいてしまいますよね。それで失ったものを補充するために水分・塩分を欲してしまう訳ですが、やっぱり冷たい飲み物を飲みたくなる。そうすると体の内部が冷えて表面上は熱を持っている、ということになり、これにより自律神経がおかしくなってしまいます。ダメだと解っていてもやっちゃうんですよね。ガリガリ君食べちゃう。少なくとも、私の場合は。そういう事態を避けるための日傘です。これで炎天下でもそれなりに快適にはなります。

 もうひとつ、節電の面から。日傘を使っていると身体に熱が篭もりにくいので、室内に入った時に空調の温度設定が高くても大丈夫になります。よく半袖ワイシャツを来た男性サラリーマンが室内に入ってきて暑い暑いとおっしゃってたりしますが、そら直射日光を遮蔽せずに浴び続けたら身体に熱こもるの当たり前のことです。日傘を使うなどして対策しておけば、そうなりにくい。結果、節電にもなるのでは、と考えています。小さいことですが。

 日傘にはこういったメリットもあるのですが、そういった部分が『男は日傘を差さない』というイメージを越えるのはなかなか難しいのかも知れませんね。