じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

むしろエスカレーターを駆け上がる人が脅威だということ

標題の件、これは「エスカレーター」や「動く歩道」での話である。混雑時右側を歩いている人が、団子を抜けて先頭に立った瞬間に真ん中を歩く人が非常に多いことへの愚痴である。「邪魔なんじゃ、ボケ」。

多くのエスカレータや動く歩道では2列を想定していると思われる。事実ボケも団子を抜け出すまでは右側を歩いている、団子を抜け出した瞬間に真ん中を歩くのは頭が悪すぎる。後ろに人が居ることを完全に忘れている、自分だけ最高で、、、邪魔だボケ!

2013年7月 - だめリーマンの思考法

 『自分だけ良しということで立ち止まる人』は、電車だと迷惑だなあと感じたりもすることもありますね。電車の出入り口の辺りで立ち止まってしまって通行を止めてしまう人、それはちょっと迷惑なんですが。エスカレーターでは感じないかなあ。

 そもそもエスカレーターは歩かない想定のものなので、想像で元々の想定を変えてしまうのはどうなんでしょう。(参照) 最近だと新聞のトピックスになっていましたね。(参照)*1 この手の話はちょくちょく出ますけれど。

 私は普段はエスカレーターを使わず階段を使います。使いたいときは身体を痛めているとか体調が悪いとか極めて疲労しているとか、そういうときです。そうなったら解ると思うんですが、エスカレーターで横を猛スピードで擦り抜けていく人は脅威ですし、ぶつかると結構痛いんですよね。しかも結構ぶつかります。そらそうだ、元々2人がすり抜けるような想定で作ってないですから。

 健常でバンバン歩けるときならあんまり気にならないのかも知れないんですけれど、止まって乗る人の立場から見ると擦り抜けが脅威であることは感じられるのではないでしょうか。

 ってか、エスカレーターを歩いて登るくらいなら階段使えばいいんじゃないですか。階段を登るのとエスカレーターを登るのを比較して、必要な体力と時間にそれほど差があるとも思えませんが……。


*1:これを受けた釣り記事なのかも知れません。

本当はこういうことが言いたかった

もう既に沈静化しつつあるっぽいし、触っても大丈夫でしょうか。



お詫びする場面でよく聴くフレーズに「〜〜と言うことが言いたかった」というのがあります。この引用したツイートにも使われていますが。これ、詫びられる相手からしたら「え? で?」としか言えないですよね。だから何? って。

お詫びするときに「〜〜ということが言いたかった」というのは、不快感を覚えた相手からしたらまったく不必要な情報です。相手にとって不必要な情報だということは、あくまで詫びる側の都合の文言なのですね。「〜〜と言いたかった」というのは、うまく伝わらなかったというコミュニケーション手段を問題とする言い回しで、自分自身は悪くないよ、ということになります。また、コミュニケーションが双方向のやり取りですから。双方に問題があるというニュアンスも含んでしまう。つまりは自己弁護であり保身したい気持ちの表れなんです。この引用ツイートの場合、自分のことを『男性』と括ることで非の在り処を分散させている辺りに保身したいが滲みですぎちゃってますけれども。

そういうのって結構伝わってしまうもので、保身が伝わると謝意は見えなくなる。望ましくないことですよね。

よく言ってしまいがちなフレーズではあるんですが、そういうことを意識しつつ言葉を選ばなきゃな、と思わされるのでした。お詫びって難しいものです。


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面白い人だと思えるかどうかは思考の指向性やレベルが自分と似たところにあるかどうかによる

正直言って本を読まない人を見下している
 私は本を殆ど読まないので、この方の主張で言うと『ツマラナイ人間』になるのだと思います。返す言葉もない。

 じゃあツマラナイかツマってるか、面白いか面白くないかってなんなのってことなんですが。

 もし本を年間一万冊読んで百科事典のように知識を蓄え神がかり的に頭の回転が早い人が居たとして、ではその人を見てすべての人が面白いと思うかどうかと言えば、たぶんそうでもないですよね。「誰しもが面白いと思う対象」って実際に存在しないですし。ということは、読書量と『面白さ』はリニアな関係ではまったくない、ということになる。そういうことではなく、いわゆる『面白い人』というのは知識や考え方、頭の回転の早さが自分とだいたい似たゾーンにある人のことなのだと思います。

 知識が少なくて視野が狭い人は判断材料が少ないから、何かひとつのことに妄信的になりがちという傾向は確かにあるような気もしますが、元増田はそういう人たちとは違うゾーンにいるぞということなのでしょう。だからツマラナイし不快だという。ただそれだけのことなのかな。その「本を読まないと偏狭になる」という考え方が正しいかどうかはまた別としてね。


 付いてるブクマやTwitterのコメントは殆ど観ていないので、なぜこんなにも目に付くくらいボヤ炎上してるのかよく解らないですが、なんというか、今日もまたネットは平和だなと思ったのでした。

テンションとモチベーションについて

 テンションとモチベーションは一緒くたにされてしまいがちですが、実際はまったく異なるものです。というわけでテンションとモチベーションについて、組織内でのメンバーに気分よく動いてもらうためにちょっと考えてみましょう。視点はリーダーです。

 まず考えるのは、テンションとは、モチベーションとは何かということ。
 テンションは、体調の良し悪し、人間関係の良し悪し、待遇の良し悪しなど環境に依存します。これらの要因が『良い』で揃っていて初めて『普通』、満たされていない場合はそこからテンションがマイナスになります。
 対するモチベーションは、組織の目標点がどこにあって自らとどれほど合致しているかと、その目標に対する達成感や承認によって維持されます。モチベーションがは上下することはあっても基準以下になることはありません。モチベーションが最も低いのがゼロで、基準となるためです。

 よって、テンションを維持するためには『メンバーを取り巻く環境に着目し、環境に対してメンバーがどう考えているか』が重要になります。モチベーションを上げるためには『属している組織と個人の目標・目的をより合致させる』『達成度を客観的に観察し、達成したことに対して承認をする』ことが重要になります。期間的な面で言えば、テンション管理は短期的、モチベーション管理は長期的なものです。

 ここから導き出せることは、モチベーションを上げる方策とテンションを下げない方策はまったく異なるものだ、ということです。それらは一つの直線上にありません。ひとつの対応でモチベーションを維持しつつテンションを上げることはできません。例えばですが、『報酬を上げる』という短期的な対応では、一時的にテンションを維持することは出来ても、長期的なモチベーションを維持することはできなかったりするわけです。

 というわけで、テンションかモチベーションか、どちらかだけということではなく両輪なので、メンバーにどちらが不足しているか常に気を配り、対応していく必要があるわけです。いやまあ、それが簡単に解れば苦労はないという話なのですが。


ブログの話などほとんどが『どうでもいい話』なのに、文章内に「どうでもいいことですが」と書くと「どうでもいいことなら書くなよ」とリアクションがあって日本語は難しいなと思ったり戸惑ったりする(本文とは無関係)

 この話もまた、実にどうでもいい話である(吹越満の声のイメージで)

メイロマさんアンチ・イケダハヤトを煽る - Hagex-day info

 イケダハヤトさんってよく存じ上げないんですけど、そんなに周囲に迷惑をかけて害を及ぼしている、これから及ぼしそうな人なんですか?
 ネットでザラッとエントリーやなんかを数本読んだ印象では、文体の若さからたぶん二十代後半くらい、年齢的に大学か最初の会社辺りで自己啓発に目覚めて勢いのまま今の形態で働き始め、それなりに上手く回ってるらしいことから地頭がそこそこ良く、本人なりには達観があるという、そういうタイプだと想像してますよ、イケダハヤトさん。ちょっと考えが浅くて自己啓発にのめり込んでて「お金のためじゃなく自分のために働いてる俺素敵!」っていうのが観えるだけで、自分には何の影響もないという印象。まあまあ変わり者だとは思いますが。

 そんなイケダハヤトさんが猛烈に叩かれまくってるというのがよく分からない。何かしら問題発言や問題行動があって自分に降り掛かってきそうなら、その発言行動を批判すればいいだけなわけで、無関係な人が入っていってやいやい言うのは怒りの横取りなんじゃあないのかな、と思うわけです。

 で、熱狂的に叩いてる人はどういう意識なんだろう? と思っていたんですが、たぶん、これなんじゃあないかな↓

イケハヤさんに色々とツッコミをしたくなるのは、「人として正常な感覚」です。だって、お尻を出してウロウロしている人がいたら、「チ、チミ、お尻だしているよ!」と言いたくなるのが普通ですよね。

メイロマさんアンチ・イケダハヤトを煽る - Hagex-day info

 何が正常なのか、という深淵な問題ですわ*1
 私個人の感性でいうと、尻を出してウロウロしてる人がいても「はぁ、まあそういう人もいるよね」くらいにしか思いません、たぶん。ウロウロしてる人を観たことがあるわけではないので、これまでの経験上ですけど。
 その尻出してウロウロしてる人が自分に極近い視界にどうしても入るところにいるだとか、臭いがキツイだとかそういうことであればケツをビターン引っぱたいて「道(そこ)を退け!!」*2ってなもんですし、猥褻物陳列や子供に悪影響を及ぼしそうなら警察を呼べばよろしい。そうでもないならどうでもいいでしょう。そんな風に思うんですけれど、私が異常なのかしら?


 参照先の記事の個別の内容について思うのは、May_Romaさんの言いたいことも解らなくはないけど本質的にはズレてるよねってことと、hagexさんが言うような「条件を満たしたから文句を言っていい」ってのも、それもなんか違うよねってこと。元の発言がそう反論されても仕方ないような読め方をするのが残念なところですけど。hagexさんからmay_romaさんへのそういうメッセージなのかな、これは。


 まっ、このエントリーも「イッチョカミ」と言われたらそうなんですけど、なんとなく気になったので書き残しておきたいと思います。
 さて、そろそろ暖かくなりつつあり初夏の訪れを感じる今日此頃ですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。


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*1:自分の意見を自分で「正常」の方に篩い分けてしまうのが正常なのか、という疑問もまた生まれますが。

*2:テラフォーマーズ 第32話より。読んでます? 面白いですよ。

ユーザーインターフェースの良し悪しは主利用者によって変わる


 以前に小売店でアルバイトしてたときに学んだことのひとつが「売り場のレイアウトを変えると売り上げが下がる」ということです。なんで? って感じなんですが、私が働いてる間に就任した歴戦の店長3人が3人ともで同じ事を言っていたので、多分「小売あるある」なのだと思います。
 なぜ売上が下がるのか気になって理由を聴いたことがあります。つまり個人研究の結果なんですが、それによると『主婦は商品の置いてある場所を一度覚えたら、次からはそこを目指し、無かったらもう探さない』のだそうな。レイアウトが変わっていて場所が変わってると『無い』ってことにするらしい。だから売れなくなるのだということらしいです。主婦ゆえなのか、再購入されやすい商材を買うのに主婦が多いゆえなのかは断言しづらいところではあったのですが。

 で、開発者としてエンドユーザーの挙動を見て気づいたことが『主婦のオペレーターの人は多少使いにくいUIでも覚えて使いこなす』ということ。若い男性は、改善要望出してくる率の方が高いです、経験上。
 更に、開発者としての我々が考える『理論的には使いやすいUI』に差し替えて提供すると、使いにくいUIに慣れたオペレーターからするとむしろ「使いにくい」ということになります。今までのオペレーションと変わると使いにくいの。一般的に使いやすくなったとしてもね。

 よって、主なエンドユーザーによってはUIを変えない方が良い、または変えることをちゃんとコミットしとかないと「使われなくなる」というのが教訓です。

 Twitterのリプライで『UIはターゲット層次第、一般には使いづらいUIでも主ターゲットにとって使いやすければ良し*1』というコメントをいただきましたが、まさにその通りですね。小売のレイアウトもアプリケーションの画面もUIということになりますが、どんなUIでも提供する側がエンドユーザーの特性を把握していないと、ひとりよがり的に写ってしまうのでしょうね。その辺りを押さえておけば爆裂炎上する可能性は下がるのではないでしょうか。


*1:例えばドン・キホーテの山積み販売などは、私は使いやすいとは思わないんですが、あれを良いと思う人もいるでしょう。

ズレたポイントに批難にも似た批判しても生み出すものがなく、ただネガティブな空気だけ残る

ダイオウイカ×日本の地上波×レベル|杏野はるなオフィシャルブログ「杏野はるな、ここにいます。」Powered by Ameba

 ざっくりと要約すると「タレントを起用しなくても良いコンテンツは作れるのだから、収益はすぐには上がらないかも知れないが、民法も限られた予算でタレントに依存するのではなく取材・映像制作に傾けたらどうか」という話。話の背骨はそこで、ダイオウイカは掴み。

 という話なのだけど、2chはてなブックマークコメントを眺めていると「ディスカバリーチャンネルナショナルジオグラフィックだとあれくらいが日常のクオリティーで、過去にいくらでもあのイカのネタはあった」の部分に引っかかってる人がやたらと多いみたい。

 確かに幾らナショジオでも、深海を泳ぐダイオウイカをあれほど高精細にしっかり捉えた世界初の映像となると「日常」ではありません。でもねえ、それをもって「バーカバーカ!」と言ったところで、あんまり意味が無いんですよね。なんせ、話の主旨ではないところなので。それこそ、元記事を書いた人が「あ、不勉強ですみません、そこんところは訂正します」と引き受けてしまったら、空振りですよ、その挙げた拳は。

 なんというか、本質ではないところを批判(というか暴言に近い人もいるけれど)してもあんまり意味が無いんですよね。「それについては無知でした申し訳ありません(ですが私が主張しているのは別の部分ですのでどうってことないです)」で終わっちゃう話だし。
 じゃあ意味が無いんだったら放っておけばいいじゃんってことになるんですけど、ただ、ネガティブな空気だけは残る。そういうのはもう食傷気味かなあ*1。色々な情報や言論に対するブコメやらの反応を観てると、私のわがままなんですが、そんなことを思ってしまうのです。


 それにしても、ダイオウイカ良いですね。深海800メートルで巨大なイカが泳いでいる姿、ときめきがあります。深海モノが好きなものでして、部屋の照明を落として食い入るように観てしまいました。
 観終わった後も興奮冷めやらず、翌日はそのままの勢いでお寿司食べました。美味しかったです。


*1:だったら見に行くなという話でもあるんですけど。