じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

ファストフードの店員を侮辱している人について

 ここに挙がってるような発言をする人は極々一部なのだとは思いますし、槍玉に挙げて正義と優越感に浸るのもバカらしい話ではありますが。
 マックフライポテト60個の件に群がるクレーマーたち - Togetter

対価を払っているから店内で何をしても良いとする考え方

 何が良いのかまったく解からない。
 ポテト料金を払ったからということですが、払ったほうが自由にできるのは買ったポテトに対してのみで、場所自体を専有していいかどうかは店側の厚意に依るものではないのですか?
 スタバなんかはコーヒーの相場に対して値段が高いですが、あれはカフェの空間と雰囲気を買っているのでしょう。ではマクドナルドのポテトは? ポテトの料金に場所代って入ってると思います? そうは思えないくらい安いから大量買いをしたりしてるんでしょう?

 買ったものだから食べようが粗末にしようが自由というのは、観てる人にとっては理屈を越えた話なので、理屈で返す言葉はないです。ただ人間が感情で動いてるということを無視できるって怖いな、と思います。

ファーストフードの店員『ごとき』という考え方

 何を言いたいのかまったく解らない。
 ファストフードの店員は、時給に対して労働力を提供しているだけ。それが1時間で600円か800円かは知りませんけれど。その事自体が店員の人間としての格にどうこうするものではありません。店員の、社会に接する一側面でしか無い。店員も個々色々ありますから、それぞれ行為で対外的に評価されるべきで、『ファストフードの店員だから』という理由で侮辱されるというのは、まったくおかしな話です。

 ファストフードの店員から提供されるサービス自体は、その時給なりになります。当たり前ですよね、時給とサービスはどこかで釣り合うようになっています。時給が上がれば人も集まり、良いサービスをする人を残して入れ替えていくことが可能ですからね。だから、もし『ごとき』がつくとしたら「店員に十分な時給を払っていないファストフードのサービスごときに」であれば、まだちょっと解る*1。ではファストフードのサービスに「ごとき」が着くのはなぜかというと、顧客がサービスに見合うだけのお金を払っていないからです。

 店員のサービスの質を上げるための賃金となるサービス料を払っていないんだから、サービスが『ごとき』でも文句言えないよ、ってことです。

 これがどこでどうネジ曲がったか、ファストフードで働く店員のほうを見下す結果になっている。それっておかしくないですか?

売る前に想定できたことだという考え方

 少し本筋とズレますが、不思議な話だったのでピックアップしておきます。
 想定できたから対策できないのは店側が悪いって、では小売店に強盗が入って人が死んだとして、「物売ってるんだから強盗が入る可能性は想定できたのだから店の対応が悪い」って言うんですか?
 想定できることに対しては対策を取るほうがいいとは思いますが、顧客として斜め上のアホがやってくるのをどこまで想定するかというのはとても難しい問題ですよ。アホの方向性が離散すればするほど、想定して対応するためのコストも爆発的に増えていく。

 ではそのコストは誰が払うのでしょう。バイト店員ですか? 違うでしょう。
 「想定することもできる問題なのだから対応しない店員が悪い」というのは、ちょっと飛躍し過ぎているんじゃあないでしょうか。

 閑話休題

総じて

 これらのようなことは、ファストフードだけではなく、例えば安い居酒屋のチェーンなどでも言えます。とても安い居酒屋で飲んでてサービスに不満を漏らすっておかしいでしょう。だったらとっとと六本木のクラブに行けばいいんです。1時間1万円も払えばそれなりにもてなしてくれますよ。

 もし安い外食であなたがもてなされていないと嘆くなら、それは店員が悪いからではなく、あなたが安さに惹かれて店に来てるからです。


 サービスを受けたければサービスに見合っただけの金額を払わなければなりません。物の代金を支払ったからサービスを受ける資格があるとするのはとても卑しいです。逆に考えてもみてくださいよ、自分に対して適正な対価を支払わない人にサービスをしますか?

 このような、自分は対価を払いたくないがサービスを受けたいという考え方が巡り巡ってしわ寄せして、いわゆるブラック企業のような「働いても適正な対価をもらえない」みたいな環境を生むのかも知れないな、などと漠然と思いましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。


*1:実際、どれくらいの時給でどういうモチベーションなのかは私は解らないので同意はできないですが