じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

新たなる情報のブランドについて

 ちきりんさんがちょっと面白い事を書いていたので、ブログを書く人間としては拾っておきたいと思います。

だから私もいつかは、「立派な肩書きがなくても、言っていることに価値があると判断されたら、聞いてくれる人がでてくる。ついてくる人が現れる。」ということを、自分でも証明しなくっちゃ、と思っていました。

「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」が問われる時代へ - Chikirinの日記

 エントリータイトルは「「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」が問われる時代へ」となっていますが、これは若干釣りかな、と感じました。

 このエントリーで言われていることは、「発言者の匿名性が担保された上で発言自体が注視されるようになる」ということではなく、「学歴や職歴といった『発言内容以外』のことで判断はされなくなる」ということだと受け取りました。つまり、ブランドの根拠が変わってきた、ということ。

 情報のブランドと言うのは、単純に言えば実績から来る信頼感のことです。これまでの情報のブランドは、主に知名度・学歴・所属団体など、その人自身の外殻に当たる部分によって決まっていました。テレビに出る・本を出す人だから正しいだろう、学歴があるのだから正しいのだろう、という、メディアや所属学校・組織の実績に応じた捉えられ方をしてきました。結果、メディアの偏向報道であったり御用学者の意見がそのまま通るような節があった訳です。

 ところが、Webのネットワークによってそのブランドが検証されていくにつれ、徐々にメディアや学歴などは信頼感を失ってきつつあります。テレビで言っていることや、学歴のある人が言うことが決して正しいわけではない。そうやって徐々に信頼を失っていきつつある。つまり、ブランド価値が減ってきているということです。確かに確度は高いですが、決して学歴・知名度=信頼度とは繋がらなくなってきている。

 一方、個人ではどうかというと、情報を発信しブログやサイトで積み上げることが容易になってきています。積み上げた情報はTwitterをはじめソーシャルメディアによって共有することもまた容易になってきています。その積み上げた情報がより正しい・利便性がある、ということになれば、広く共有され、その積み上げ自体に信頼が生まれ、価値を生み出してくるという訳です。「あのサイトの◯◯さんが言っていた」ということが価値を生むようになってきます。

 ということは、やっぱり「誰が言ったか」というのは消えないんですね。故に「若干釣り」と最初に書きました。

 とは言え、ちきりんさんの言われる『誰』が発言者の発言内容以外の外殻部分を指しているのだとしたら、まさに同意です。

 今後は、発信した内容の積み上げがブランドに大きく影響を与える時代になっていくでしょう。あくまでも予感ですが、私もそう感じます。

 元のエントリーの意図だと私が受け取った部分が、どうも伝わりにくいのではないかなあとTwitterなどでの反応を観ていて感じたため、エントリーに起こしてみました。いかがでしょうか?