じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

親切を受け取る器

 こういう話で、ちょっと思っていたことがあるのでピックアップ。
 そんなにベビーカーはお嫌いですか? -「電車内のベビーカー、ウザッ」と言う前に-(MAMApicks) - livedoor ニュース

 もう時効かなあと*1思うので少し話してみたいと思うのですけれども。
 かなり前の話なんですけれど、とあるショッピングモールでエア豪遊していて、この記事のようにベビーカーを担いで階段を登ろうとする女性を見掛けたことがありました。
 危ないな〜、一人で登るの大変だろうなあと思って観てたんだけど、どこにも旦那さんっぽい人が居ない。なので「こういう声の掛け方をすると変な目的な人だと思われるかもなあ、でも思われても別に損はないし良いか」と思って声を掛けてみたんですね。目の前で大転倒されても気分悪いですから、やっぱり。何転けとんねん、ってなりますから。
 そうすると、予想してた通り「あ……いいです……」と。なんなのお構いなく……といった感じ。いやいや、でも危ないでしょどうみても、と思ったんで最悪転倒しても守れるように下でしばらく見守ってた訳です*2。記事の通り、子供には別に非はないですから。

 そこからしばらくして、また別の日。またも階段でベビーカーをなんとか持ちあげようと奮闘する女性を目撃しまして。なんでエレベーター使わないのかとか思いつつ、先日の事が引っ掛かかりつつも、やっぱり気分悪いですからね、そういうのは。なので「お手伝いしますよ」と声を掛けてみたんです。
 すると、その女性は良い笑顔で「お願いします!」と。で、持ち上げた後は普通に「ありがとうございます!」と*3


 この差、やっぱり大きいと思うんです。見返りの為にやる行為ではないとしても、自分の自己満足のためにやる行為だとしても(だからこそか)嬉しいと思うんです。私としては、無事にそこを切り抜けてくれたら良いことですし、別にノーリアクションでも全然構わない。それでもやっぱり拒否って悲しいもんだと思うんですよ。


 もちろん、まったく見ず知らずの人にいきなり助けを出されても困るわ、というのも解らなくはないんです*4。だけど、そこを、もうちょっと素直に受け止められるような世間にならないかな、と。親切にして見返りがないのは別に構わないけれど、マイナスになってしまうと「じゃあやらなかった方が良かったんじゃん」ってなってしまうでしょう。


 子供の頃「人には親切にしましょう」という教えられますよね。でもそれはもうひとつ足りてなくて「人の親切は素直に受け取るようにしましょう」というのも一緒に合わせて教えたほうが良いのではないでしょうか。みんなで親切を出しましょうと出すばかりで受け取る器がないから、その気持ちだけが行き場を失って、じゃあやんないほうがいいじゃん的な風潮を生んでいると思うのです。

 親切にされ慣れてない人は気恥ずかしいだとか、どう対応していいのか解らないってのもあるかも知れないけど、そういう人は普段から何気ないことに「ありがとう」って言ってみるとか。そういう気持ちが必要なのではないでしょうか。

 そうやって、お互いフランクに支え合えるような世の中になれば素敵なんじゃあないか、そう思います。

*1:別に犯罪自慢じゃないです。あしからず。

*2:強引に助けても良かったけど、触れられるのも嫌そうだったので。

*3:表面上そうしているだけで内心は「うわー、なんか解からんけど引いた感じだすと怖いことなるかも知れんからとりあえず笑顔にしてお礼を言っておこう」と思ってる可能性とかもあるわけですけど、そういうことを想定する意味って無いんですよね、根本的に。

*4:こいつ弱者を餌にして何か悪事を企んでるんじゃあないか、と疑う気持ちも解るんですけれどもね。だから全面的にいきなり他人を信用しろ! とは断言できないのですけれど。