自分の成功体験を盲信するあなたへ、もしくはその人のアドバイスで心が疲弊したあなたへ
自分で強いと思ってる人がその強さの根拠の事実を振りかざす。アドバイスという形を取りながら、相手のことを罵倒する。よくあることだと思います。そうやって強さを振りかざす人にいち早く気付いて欲しいことがあります。それは、そう振りかざされた言葉は暴力だということにです。
他人の心の弱さに寄り添えないのは、強いからではなく、想像力が足りないからではないでしょうか。「なぜできないんだ」と他人に投げかけるとき、本当に『なぜ』と理由を問うていることは稀で、殆どの場合「自分ができていることができていない、そういう相手を潰すこと」に目的が移動しています。言われた方も、そう感じるでしょう。そうなると、言われる方も心を閉ざしてしまいますから、対話は成立しなくなります。
故に、本当に解決したいなら「何が問題なんだろう?」「どうしたらいいと思う?」と投げかけるべきなのです。相手のためを思うならば、です。
偶然にも成功体験を得ることができた人は、ともかくその成功体験を信じやすいものです。成功体験の含むアルコールが本人を酔わせ、その成功が偶然であることを忘れさせてしまうのです。
そうなると、自分のやり方が正しいと思うようになる。結果「とにかく行動しろ」「行動すれば変わる」を人に過剰に言いすぎてしまうわけです。本当は人それぞれ「できない理由」があるにも関わらずです。
世の中には「行動したいけれどできない」のような、言語的な理解と感覚にズレがある人が一定以上の割合で居るのです。そういう人の抱えてる問題は表層からでは見えないところに潜んでいて、本人も解ってなかったりします。だから本人もどうしたら望む方向に動けるのか解らないのです。
自分自身を操作するコントローラーが故障していて、入力と実際の動きが異なってるっていうイメージで、伝わるでしょうか。思ってる方に自分でも進めない、前に進もうとしても後ろに下がってしまう……。その状態で「まっすぐ進め、できない奴は甘え、やればできる」と外からゴリ押しされれば、その人はどう思うでしょう? 解ってるよ、理屈では解ってるけど心がついてこない、どうやったらいいか解らないから困ってるんじゃないか――そう思わないでしょうか?
そういったことをひとつずつ順番に一緒に考えて一緒に解決していくような姿勢が取れないなら、最初から相談に乗ってやろうだとか問題解決にいっちょ手を貸してやろうとか思わないでいて欲しいのです。知恵の輪を腕力で解決しようというような行為であり、そんなことをしては複雑な精神状況を強引に破壊することになりかねません。
自分はつらい体験をしてきたという自負がある人や、実際に体験してきた人ほど、この暴力を振るいがちです。「自分が耐えられたのだから他人もいける」という理論を何も考えずに他の人全てに適用してしまうのです。
あなたはそうなっていませんか? 誰かのためと言いながら自分の正しさを示すために暴力を奮っていませんか? そうであれば、その刃を収めてはどうでしょうか。
もしくは、誰かに暴力を受けていませんか? であれば、その相手からはそっと距離をおくと良いのではないでしょうか。誰か一人が唱える成功体験や成功方法は必ずしも正しいとは限りません。むしろ、間違っていることの方が多いでしょう。適当に聴き流すと良いと思います。少なくとも、それで精神的に疲弊してしまうよりは遥かに良いでしょう。