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じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

サウスウィッシュボーン3番地より

音楽

3月16日ですので。

『おきてがみ』
作詞:坂本真綾
作曲:菅野よう子


3月16日 午前5時30分


私は今日、この町を出ていきます。
借りてたままの本は机の上。
オレンジのニットは妹に。
サカナのエサは1日2回です。


ひとりで勝手に決めてごめんなさい
だけど昨日でも明日でもなくて
今日がその時だった


大好きな人に囲まれて愛されてきた
かけがえのない ふたつとないこの町を
私は今日出ていきます。


教会の鐘が鳴る前に もう行かなくちゃ
みんな元気で。


3月16日 サウスウィッシュボーン3番地

この歌は、坂本真綾さんの4thアルバム『少年アリス』の最後を締めくくる歌です。『少年アリス』はそれまで『グレープフルーツ』から続いてきた菅野よう子プロデュース作品として最後のアルバム*1です。

思えば、1stアルバムの『グレープフルーツ』の時には菅野よう子の演出する舞台に置かれたお人形さんのようだった真綾さん。10代の若さと未熟さと、見えない未来への不安の混ざった世界で、その世界のひとつのパーツのようでした*2。それが『DIVE』で少し大人の恋をするようになって、『Lucy』では作詞家としての魅力も放ち始めた。菅野よう子が作り上げた舞台の上で徐々に『坂本真綾』らしさが生まれてきていた。そして『少年アリス』で、菅野よう子の作る舞台と坂本真綾という表現者がひとつの終着点を見せた。その一つの結晶のような歌がこの『おきてがみ』であり『少年アリス』というアルバムなんです。

歌詞の意味に付いては、ライナーノーツで真綾さんが語ったりしているのを見たことが無いので、全くの想像ですが、やっぱりこれは『菅野よう子』からのひとつの卒業だったんだろうな、と思います。今思えばですけど。そう考えると、この歌詞がものすごく嬉しくなるのです。

大好きな人に囲まれて愛されてきた
かけがえのない ふたつとないこの町を
私は今日出ていきます。


と、ここで逆に、菅野よう子さんから真綾さんへのメッセージを。

16歳、生まれたときからそうしてるようにマイクの前で歌っていた。
17歳、サラッと書いてきた<パイロット>の歌詞の新鮮な感性に驚かされる。
18歳、大人が寄ってたかって、歌手坂本真綾を演出しようとして、あなたはとまどっていたと思う。
19歳、しばらく会わないでいたら、緑のマニキュアをしてスタジオに現れ、一同ドキドキする。
20歳、トンネルをいくつも抜けた。
21歳、大学を卒業できないかもと言いだし、もしできなくても他人にどうこう言われる筋合いのものじゃなく、自分の問題、と突っ放す。その後、心配しながら見守るうちひょっこり卒業。守られてるな、と思う。女子会で数々の暴言を吐く。
22歳、そろそろ独り立ちさせようと、あまり構わないようにするが、実は気になってしょうがない。

5)あなたの知っている「坂本真綾伝説」

もうひとつ。

せかいいち愛してるぜっ、と大きな声で言ってやる。<エッチな意味ではない>
言葉で何でも表現できて分析できる、という方向に過剰に進みつつある世の中で、不安定で形にならない、水っぽい作りたてのわらびもちのようなオマエの魅力をどうやってお客さんに伝えていくか、いつもいつも考えているよ。
CDを買ってくれる人たちは、どこがいい、とはっきり口にできないところをきっと好きになってくれてるはず、と思う。それから、痛いとか辛いとか苦しいとか大騒ぎすることでしか伝えられないこと、絶対にある。 だから我慢しないで騒ぎなさい。これからもね。
最後に、オレの気づかない魅力を見つけて育ててくれる人たちとの出会いを、大事にしていってほしい。いつでも自由に飛んでいい。
オマエが選んでいい。もう大丈夫だから。

10)坂本真綾にご自由にメッセージをどうぞ。

相思相愛じゃないのw

前にも書いたかも知れないけど、菅野よう子さんのプロデュースが終わって相当寂しいなあと思ったりしました。が、これを見るとやっぱり嬉しくなります。太線のところは、菅野さんからの鼻向けの言葉のようにも取れます。菅野さんの言った通り、真綾さんは菅野よう子プロデュースの時に見せていなかった新しい魅力を発揮してファンを喜ばせてくれていますよ。

人と人って、こうやって繋がっていて欲しい。そしてそこに心震わせる歌があって、こんな素晴らしいことはない。そう思うんです。

この『おきてがみ』は、そんな愛の一里塚みたいなみたいな歌として今後も聴いていきたい歌のひとつです。

*1:2010/03/16現在

*2:もちろんそれは菅野よう子という稀代のプロデューサーが『坂本真綾』をいかに料理したら魅力的に見えるか、を考えて用意した舞台なのだと思いますけれども。