じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

厳罰化するのは最後の手段

例えばの話

 とあるマンションの中庭には芝生の敷かれた公園があります。芝生には「芝生の上を通らないでください」と立て看板がしてありますが、にも関わらず芝生には人が踏みしだいた道が1本できていました。

 さて、あなたがマンションのオーナーなら、どう考えますか? 芝生の上を通っているのを見つけ次第シバく*1ことにしますか?

どう考えるか

 まず一番最初に考えるべきは「なぜ人が踏んだ道が出来たのか」です。なぜ人が踏んだ道が出来たのかというと、それは、幾人もが同じ所を通るからでしょう。では、なぜ幾人もが同じ場所を通るんでしょう。それは、その道のできている場所を通ると都合がいいからでしょう。では、なぜ都合がいい道が芝生の上にあるのでしょう?

 この場合は「芝生のデザインミス」が疑われます。本来、道があるべき場所に芝生を置いたことによって、運用とデザインがミスマッチを起こしていた、と考えるのが自然でしょう。


 そうであれば、一番最初に試みることは「芝生の踏みしだかれた部分を整備した道にする」です。これで運用とデザインが合います。道であれば誰もが通って良いし、芝生も荒れない。
 
 次に試みるのは「既に存在する道を通ることに付加価値を付ける」です。子供がたくさんいるなら、アンパンマン道路にしてもいいのでしょう。歩くと音が鳴る道路なども面白いですね。アイディアは色々ありそう。どうしても芝生を変えたくないなら、そのようなアイディアもあります。

 次に試みるのは「芝生の上を通れなくする」です。芝生をガラス張りにしてもいいでしょう。有刺鉄線を張り巡らせてもいい。ただし、芝生の上を通れなくすると、これまで芝生の上を歩いていた人からすると「不利益変更」になりますね。策としては上2つと比較して劣るといえるでしょう。

 最後に、どうしても芝生を変えたくなくかつ新しいアイディアもない。そのような状態になって、はじめて「厳罰化」ということを考えることになります。

思考の段階

 運用上の問題が発生している時に辿る思考の段階は、こうです。

  1. 制度と運用のズレの修正
  2. 人を誘導するため、制度を守る方向にベネフィットを設ける
  3. 制度を守らざるをえない様に強制力を働かせる
  4. 厳罰化を視野に入れる

というわけで

 厳罰化をしても、罰を逃れればそれでいいという方向に人は動きます。そうなるとイタチごっこ、永久に問題は解決しません。

 意にそぐわない行動に対してイの一番に厳罰化を持ち出す人や集団はありますが、「制度デザインのミスについて変更するつもりはなく、イノベーションも起こせません」とアピールしてどうするんだろうか、と思うことしばしば*2です。

*1:芝生だけに

*2:芝生だけに