グロテスク
どんなものも、表層上は美しく繕えるものです。そこをもう少しだけ深く知ろうとすると、皮を裂いて中のグロテスクな部分を見なければならない。どんなものも、中はグロテスクにできているものです。人の皮膚の内側に臓器があるように、表装上の感情の裏に蠢くものがあるように、仲の良いチームの内部でも憎悪が生まれうるように、立派に見える企業の内側が混沌としているように、スマートな機械の内側に乱雑な配線があるように、華やかなペット産業の裏で年間数百万もの犬猫が殺処分されているように、美味しい食事環境を維持するために果てしない量のブロイラーが育成されているように、甘美なチョコレートを作るために子供たちが労働をしているように、物質文化を維持するために日々凄まじい量の廃棄物が発生しているように、文化的な生活を維持するための電気を生むためなんらかの弊害が発生しているように。
どんなものにも美しい表層とグロテスクな内面があるのだから、それを全部まるごとで「そういうものだ」と受け止めるところから話は始まるのではないでしょうか。とすると「中にグロテスクなものがある(ドヤァ」は始まってすら居ない、スタートに立つまでの意見。問題を解決すると言うのは、そのグロテスクなところに手を突っ込んで模索するということです。あることを認識するのは大事だと思うのですが、それではまだ手を突っ込んでいないのではないかと、そう感じます。