ゲートキーパー宣言について
人の悩み方はその人の個性であり、様々です。
追い詰められた時『死にたい』と口に出すこともできなくなる人もいます。苦しい時、死にたいだとかもうダメだとか、口にすることで現実化してしまいそうなくらいに過敏になってしまうこともあるでしょう。
助けを求めるように伝えたとして、そのことで「自分はダメなんだ」と自らを卑下する人もいます。そういう人は「何かあったら伝えて欲しい」ということで逆に言い出せなくなることもあるでしょう。
パンパンに水の詰まったタンクのように感情を溜め込む人もいます。溜め込んだものを吐きだそうとしても吐き出す口が小さくて、圧がかかりすぎて詰まってしまう。言葉に出来ず「話して」と言われることが圧になって余計に言葉を詰まらせることもあるでしょう。
自分でも気づかない間に視野が狭まっている人もいます。視野が狭くなりすぎて自分の悪いところにしか目を向けられず、苦しくなってしまう。逆に俯瞰しすぎて達観の末に悲観することもあるでしょう。
気分がどうしても持ち上がらず、人と会話することを忌避する人も居るかも知れません。
「なにかあったの? どうかしたの?」と聴く人の中には、その後に「解る、自分がそうだったときは〜」と自分の感想で上書きしようとする人もいます。「溺れている人の苦しさは、それを横で見てる人には解らない」と言えば当たり前のことのように思えますが、しかし多くの人が、自分が溺れた時の苦しさを投影してその基準で話すのです。そのことに疲れはてて、相談や人との接触を忌避する人もいるでしょう。
誰かにとって有効なことは、別の誰かにとって逆効果にもなりうる。その相手を見て接する必要があります。
困っている人に寄り添うことは必要なことだと思います。ただ、定型的な受け答えだけでなんとかできると考えないほうが良い。そんな風に思うのですが、いかがでしょうか?