じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

若いうちの苦労は売ってでもするな

 ここでいう『苦労』というのは、何の目的意識もなく苦役をすること。

 目的意識を持ってやることからは得るものがありますが、ただ漫然と「つらいなあ、苦しいなあ」と思いながらやることから得られることと言うのはそんなに多くありません。時間の使い方としてあまり有意義じゃあないです。
 更に、苦労を重ねることで「苦労をしなければならない」という苦労教に入信してしまう人も居ます。苦労教の教義は「苦労=経験」で、苦労を重ねることで何かを得る、という考え方です。こじらせると「若者が売れるものは時間しか無いのだから時間を売って経験を得よ」という悟りに到達します。やがて苦労教徒は若い人に苦労を押し付けるようになります。それこそが正しいことだと思っていますからね。

 実際には苦労教徒が言うようなことはありません。効率よく学ぶことも得ることも与えることも出来ます。社会を見回してみれば、これまで先人が積み重ねてきた労力や成果が生活の下地になっていることは解ります。それを使えば良いんです。経験は動かした手先と見た出来事を、その身を通して考えるから得られるものです。漫然とただ苦労してれば得られるようなものでは有りません。

 こういう話の定型句ではありますが、若い人に知っておいて欲しいのは、「苦労ではなく経験を得ること」を大事にして欲しいということです。その為には苦労を売ってでも手放して経験する為に時間を遣うこと*1

 歳を取るほどに経験を得る密度や濃度は下がって行っているように思います。若いうちに経験するって大事ですよ。

*1:苦労を売るのが難しいなら、苦労を「強いられた苦役」とするのではなく「意義ある経験」と変化させることですが、それって若い人のすることじゃなくて既に経てきた人たちが環境を作ってやることなんですよね。おっさんは若い人にそういう場を作っていくのが大事な仕事になると考えます。