じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

インターネットの情報はリアルな経験と食い合うものなのか?

今日は久しぶりにウェブサーフィン(死語)していたので増田言及の連投になってしまった。
気持ち悪い - Hatelabo AnonymousDialy

親「せみとり行こう」

子「じゃ、ネットで場所とつかまえ方をくわしく調べてくる!」

こんな会話がもうリアルにありえるわけ。「本でも一緒だろ?」と思う人もいるだろうが、全然違う。

本なら、本州全土、夏とか結構アバウトだったから、漏れのエピソード語ると、夏のある日、朝早く起きてとーちゃんとカブト探ししてなかなか見つからないことがよくあった。

クワガタが特に稀少だった。だから、やっと見つけたクワガタは本当に大事にしたよ。なかなか見つけられないことで、いろんな工夫を考える。

それだから見つけたときの喜びはひとしおだし、苦労してつかまえた生き物は余計に愛しかった。

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不思議なもので、年を重ねるほどに「自分が出来なかったこと」をやってる人に対する嫉妬を持つ人や、「自分が苦労したこと」に対して他人も同じように苦労しないと気が済まない人を見るようになって来ました。私ももうアラサーってことで、環境的にも引っ掛かる話題もオッサンの仲間入りをしちゃったんでしょうか。

私はこの親子の会話、良いと思うんですよ。なんでか。それは、ちゃんとそこに親子の会話が成立しているから。そして「せみとり」という親の提案に対して子供が乗っている。良いじゃないですか。ただ情報ツールとしてネットがあるというだけ。ただのジェネレーションギャップ。

一方ネットは町、番地、詳細な時間まで明らかにする。ここに何時に行けば「確実に」会えるという情報が手に入る。

気持ち悪い - Hatelabo AnonymousDialy

だいたい、「確実に」なんてことはありえない。確率は高いでしょう。リアルタイムな情報が手に入る道具なのだから。「お父さんが子供だった20年くらい前まではたくさんいたんだけどねぇクワガタ」みたいなことはネットの情報を駆使する限り、あんまり無い。だからって100%ではない。しかも、居たから取れるってものでもない。取る為にはそこは多少苦労するでしょう。そこに居る事が解ってたって、取りやすいように朝早くに起きるのは変わらない。樹液を使ったワナだって苦労して作るかもしれない。実際に手を動かさないといけないことに変わりはない。*1

大事なのは、そういったときに子供がどうやって考えるか?親が経験をどう積ませるか?親の知識や経験、ネットに乗って無いような微に入り細に入るような情報やその場の判断の方法をどう伝えるか?親がクワガタ取った事無いなら、どうやって一緒に楽しむか?そこなんですよ。ネットで調べたって解らないことは幾らだってある。というかネットで解ることなんてほんとに限られている。

ネットの情報は幾ら積んでも情報でしかない。グルメ情報を幾ら集めたって、そら美味しい店はたくさん知ってるか知らんけど、どれくらい美味しいのか、それがどれくらい人を幸せにするかは解らない。それを、ネットの情報が全部伝えると思ってしまうから間違いがある。本だって同じ。ライフハック本とか読んだとして、その通りになることなんてありえない。ただのガイドラインでしかない。じゃあその「その通りにならなかったときにどうするか」を教えるのが教育でありデジタルとの付き合い方じゃないですか?そのためには「確かにインターネットにはそう乗ってるけど、ほんとにそうかな?確かめてみようぜ」って姿勢が必要でしょう。

インターネットはただの情報ツールでしかない。あくまでツール。本やバイラルと同じ。だからLANケーブル引きちぎる必要も無い。それは本を読むな、人からの話を聴くな、自分の経験だけを信じろ!ってことになる。そうではなく、インターネットの情報とリアルの経験の意味をちゃんと考えるところが大事なんです。

*1:ただ、情報があるから結論にたどり着く時間は早くなると思う。それに出来ることも増える。それは良いんじゃないですか?従来の人が「クワガタがいる場所を探す」ことに苦労していた分、別のことで苦労することになる。何事も労せず手に入るなんて事は無いんだから。