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じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

子供に「いじめからは逃げろ」って、どこへ?

いじめをなくすことはできない

 まず前提として、いじめは社会から無くすことができず、いじめの環からは誰も逃れることができない、と言うことを述べておきたいと思います。
 世の中で一般に俎上に上がる『いじめ』とは、集団の中で殴る蹴るなどの攻撃や罵詈雑言・違法行為・違法行為を含む嫌悪感を感じる行為の強制などが発生したもの、つまりは加害者と被害者が明確に存在する集団攻撃のことを指しています。ですが、実際は『明確な加害者』が存在しないこともある。むしろその方が多いでしょう。例えば集団で無視する。例えば集団で個人を当人の望まない形で『いじる』などなど。つまり『いじめ』を広義に捉えると、その場での全体空気によって個人が潰される環境、と言えます。その場に暴力があるか、違法行為があるかはまた別の話です。
 ではその集団空気をなくせるかというと、なくせないでしょう。なぜなら、人は誰しも意図せずして加害者にも被害者にもなりうるからです。自分にとっては些細ないことでも、大きく捉える他人は存在します。であるにも関わらず大抵は傷つける当人はそのことに気付きません。気付いていても、その傷が人にどれくらいのダメージを与えているかは計り知れない。すべて解っていても、別の場所からのストレスを晴らすためにやめられないこともある。よって、加害者にはいつでも誰でもなりうる。その小さな積み重ねが個人を追い込むところまで高まれば、それがいじめとなるのです。人間関係が少しずつ歪んで、生まれた歪のエネルギーが最も掛かる部分に偶然立っていれば、それだけでいじめの被害者が生まれます。なくすことができるでしょうか?

 覚えがないでしょうか。「あの時あんなことを言わなければ、あの人を悲しませることもなかっただろう」という後悔を。みな、そういう後悔するようなことを、自分で気付かないうちに、当時は気付いていたが今は忘れてしまったことの中に大量に抱えているはずです。それがお互いに傷つけあってときにエネルギーになって社会は動いています。まず無くすことができないことなのです。

子供にとっての逃げ場所とは

 さて、ここから本題です。最近、新聞の社説やコラム、ブログエントリーで「いじめから逃げろ」という論が目立ちます。いじめで子供が何名か亡くなった事件以来、顕著です。それに対して私が思うのは、「じゃあどこに逃げたらいいの?」ということなんです。
 いじめと言うのは、前述した通り「集団空気」です。その空気の中で逃げ場を失ったことで追い詰められ、場合によっては死に到ろうとする。そもそも、逃げ場がないからいじめがより悪化するんです。
 小学生や中学生にとっては、世界は「学校」と「家庭」がほとんどです。活発な子であれば地域の運動サークルや塾などもあるでしょうが、そうでない子供も多いでしょう。つまり、学校で追い詰められて家でも追い詰められたら、どこにも逃げ場がなくなってしまう。追い詰められ、逃げ場を失った圧で、やがて潰れてしまうのです。

 では、どこが逃げ場になるべきなのでしょう? 私は、まずは家庭だと考えています。学校の中に逃げ場を求めることはとても難しく、手を入れることも難しい。家庭の誰かが、必ず自分を受け入れてくれるというセーフティネットになり、そして、子供に「いつでも逃げ込んで大丈夫なんだよ」ということを心で理解させる。外で幾ら遊んでグチャグチャになっても構わない、傷だらけになっても構わない、ちゃんと帰ってきてくれよ、と。そうすれば、子供も逃げこむことができるかも知れません。そういう環境作りなら可能ではないでしょうか。

家庭を子供にとっての逃げ場にするために

 まず「必ず受け入れる」という姿勢を見せなければなりません。常に甘やかしたりだとか、子供が間違っていても許すということではありませんし、躾の放棄でもありません。時に子供に叱る必要もあるでしょう。その場合、父親が叱れば母親がフォローする。母親が叱れば父親がフォローする。祖父母が常に受け入れる。そういうフォローの関係を持つことです。
 「あの人が怒っているから」などと、叱りの根拠を外部に出しても良くないでしょう。叱りの根拠を外部に出してしまうと、子供からは「この人は自分の意見ではなく他人に左右されて怒る」と見えます。そういう人が信頼できるでしょうか? 社会的におかしなことだとしても、それは「人として誤っている」とするべきです。
 そして、人格の否定はしないことです。人格ではなく、行為の否定をすること。人格を否定する人に、いざというときには頼れないでしょう。

 大事なのは、子供との信頼関係づくりだと思います。学校という社会で居場所を作るために最大限頑張り、それでもどうしようもなくなったら頼れる場所がある。そう子供に感じさせることが必要なのではないでしょうか。

総じて

 病気をこの世から無くすことが不可能なように、社会の病理であるいじめをなくすこともまた不可能でしょう。私たちにできることは、社会を健全にして軽減して早期発見すること*1、そして最悪にも子供がいじめに合っていても逃げ場所を作ること。この両面が必要なのではないでしょうか。
 子供たちに逃げることを促すことも大事です。それと同じくらい、受け入れる側に逃げ場所を作ってあげるように訴えることも必要なのではないかと考え、キーを叩きました。

関連エントリー

 社会人になってから潰されてしまわないようにするためのエントリーを、以前に書いています。手前味噌ですが、紹介させて頂きます。
 新社会人に贈る、『うつ』にならないための心得十箇条 - じゃがめブログ
 ここでも、本エントリーと同様に逃げることを推奨しています。そのために、仕事外の友人をできるだけつくることであったり、世界を広げて目の前のものに潰されないようにする考え方の工夫を書きました。
 何かの一助になれば幸いです。

*1:いじめの中でも積極的攻撃をする子供は居ます。暴行や犯罪の強制など。こういったことを早期に発見して対応するという体制を作ることは必要ですし、取り組むべき課題だと思います。そもそも、犯罪ですからね。それは無くすべきですし、取り組んでおられる方には頭が下がります。