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じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

自称・毒舌家とは何なのか?

雑記

ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」というラベルで救済するのはそろそろやめにしようよ: 不倒城

ただ、自分のことを毒舌家だと考えている人には、自分のブログのカテゴリーに「毒舌」という一項を用意している人には、一度は立ち止まって頭を傾けて見る義務がある、と私は考える。

ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」というラベルで救済するのはそろそろやめにしようよ: 不倒城

 弊ブログは紹介文に『毒にはなるが薬にはならない*1、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。』と書いてますので、いつしんざきさんに八つ裂きにされて裂いたところから辛味噌を塗りこめられ炭火で軽く炙られても文句は言えない訳なんですが。


 閑話休題。薬と毒はまったく異なるものと言うわけではありません。どちらも、心身に作用を及ぼすものであり、その作用が人体にとって悪性であれば毒ですし、良性であれば薬です。薬も飲み方を間違えれば毒になります。言うなれば、薬も毒も同じもの。

 言葉も同じです。薬になる言葉と毒舌と呼ばれる言葉は同じ。論理性が高く的確で鋭いもの。それが、受け手の内部のツボを鋭く刺激して感動させる・いい気持ちにさせる・良方向に思考を向かわせるなどすれば、それは薬。政治問題や人間に関する問題など、取り扱うのが難しいことを対象に鋭く切り込み抉れば毒舌。よって、毒舌には問題を的確に捉える視点と表現力を備えた、説得力が必要不可欠な訳です。また、毒である以上、人の心に対して切り込む際には細心の注意を払わなければなりません。

 では巷でよく名乗られている「毒舌」というのはそうであろうか? 罵詈雑言や悪言、誹謗中傷を以って『毒舌』としていませんか? 汚く強く辛辣な言葉を使うのは、言葉の暴力です。いわば言葉の拳を振るっているに過ぎません。暴力では人を殴って痛がらせることはできても、なるほどと考えさせ鋭さに感動させることはできません。巷で名乗られている毒舌はただの暴力であることがほとんどです。

 汚く強い言葉を使うことで毒舌になり説得力が生まれるのではなく、説得力があること言葉にたまに混ざる強い言葉がアクセントとなって毒舌として成立している。この原理原則を忘れてしまった自称・毒舌家は、『毒舌家』ではなく『暴れん坊』になってしまうのです。


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わたしが辛口芸人上岡龍太郎です
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*1:毒は薬と同じなので「薬にはならないが毒になる」というのは存在に矛盾を抱えてるもの。というデビルズジョーク。