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じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

「子供たちの出した結果をすべて平等にしよう」という目標にある「うちの子供は他人と比較して平均以下にしかなれないかも」というネガティブな雰囲気を子供に感じさせるのがいいことなのかどうか

雑記

 私には子供は居ませんし、実際にパパママやってる人からしたら「お前ナニ言ってんの」という話だとは思うんですが。

 たびたび「学校・幼稚園内で順位を表さない」という動きが話題になります。運動会では全員1位、演劇では白雪姫がたくさん、テストの結果は公表しない……そうやって平等であるとする考え方。それが平等かどうかというのもありますが、それ以上に気になっていること、いや、違和感。

 「順位を付けなければ平等」という人は、自分の子供が端から負けると思ってるんでしょうか。うちの子供はかけっこをして1位になれない、テストを受けても平均より上になれないかも知れない。他人と比較して劣っているのはダメなことだ。そういう感情、雰囲気を感じるのです。

 なぜかって、「うちの子は頑張ればできる、うちの子がナンバーワンだ」と思ってるのであれば、その平等感って作る必要がないんです。狭い視野で見れば。我が家のことだけと考えればですよ。「よっしゃ頑張れよ、お前ならいけるぞ!」と、そう思ってる人が「1位じゃない人が出てくるなんて可哀想!」と言いますか? 感情のつじつまがあわない。また「うちの子はオンリーワンだから比較に意味は無い」と思っているのであれば、順位を失くしてしまおうと思う必要がありませんよね。だってそのかけっこの順位が低かろうが絵が下手だろうが、その個性がオンリーワンでオッケーなのであれば順位なんてどうでもよかろうじゃあないですか。劣る子が可哀想、そういう考え方もあるでしょうし、その博愛精神は素晴らしい。でもそうなの? 劣る子って、可哀想なんでしょうか。


 順位や他人と劣ることに対して過敏であるだとか、自分の子供が他人より劣るかも知れない良くならないかも知れないと考えるだとか、そういう考え方自体が、子供の情操教育に良いことだとは考えがたいのですが、いかがでしょうか。


平等論
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