じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

娯楽系産業に対して矛盾した言動をとる人に対しての雑記

 自分の周りでだけでしょうか、どこからか入手した電子データ化されたアニメ・漫画・音楽の量を自慢する人をよく観ます。ここ最近、頓に増えてるように感じます。それも、社会人で。

 何らかの方法によってどうやら対価を支払わずに得たらしいデータ。その方法は解りませんし特定できませんしするつもりもありません。ただ……それ、本当に観るんですか?


 素朴な疑問なんですけど……観ないよね? 凄まじい量が蓄積されてるというデータ。交換する時にテラ単位のハードディスクをまるごと使うというデータ。再生時間を計算するのも面倒なくらいです。どうやら話によると、何を持っているのかすら解らないんだとか。
 そういう人らが何故収集するのか? これについては、私は2つ理由があると推測してます。ひとつは「交換資材として、通貨のように保持している」。もうひとつは「単に持ってるのが嬉しいから」。どうでしょうか? 自信はいまひとつありません。実際のところが少し知りたいです。



 閑話休題。話が少しずれてしまいました。ここからが本題です。
 上記のようなシチュエーションはどんどん増えてます。カジュアルにコピーする。HDDが安くなってるとか、デジタルコピーしやすくなったとか、インターネットの速度が尋常じゃなく速くなってきているとか、色々と理由はあるんだと思うんですけれど。
 となるとですよ。企業側、クリエイター側の姿勢は「儲けてなんぼ」になりますよね。そらアニメなんかどれもこれも萌えとかになりますよ。ラノベが売れればラノベ推し。アニメはパチンコとタイアップするでしょう。それができない、売れない作品やジャンルは作れなくなる。作る余裕が無い。幾ら作りこんだとても良いものだとしても。だからどんどん品質は薄っぺらくなり「どのアニメ観てもだいたいおんなじ」とかいうことになっていき、全体的に商業主義に陥ったようになっていきます。逆に、売れないけれど良いものを作る、みたいな人はどんどん淘汰されてしまうか、世に出てこれない。こんな感じでしょう。今の娯楽産業は*1


 私が言いたいのは、著作権違反は良くないから止めろだとか悪だとか、そういうことではありません。そもそも親告罪ですから、著作者当人以外が口を挟むのはお門違いでしょうから。そういうことじゃあないんです。
 少なくとも、特に社会人であるなら、自分が好きで楽しませてもらってることに対してくらいは、対価を支払うようにしてはどうでしょうか? そしてその支払いを『消費』ではなく『投資』だと考えるようにしてはどうでしょう? と、いうことなんです。じゃあないと、自分が面白いと思うようなものを生み出す人が、企業が、どんどん潰れますよ。だって、作ってもお金入ってこないんですもの。

 一定以上の稼ぎがあるのにそんな目先のつまらない小銭に囚われて、将来生まれるかも知れない良娯楽をの種を潰してしまってるんだとしたら、勿体無いことだと思うのですが、いかがでしょうか。

*1:このようなことはとかく批判されがちではありますが、じゃあその批判してる人がしっかりお金を出しているかとなると、これは疑問だったりします。お金は出さないのには批判するとか、どうにもおかしいと私は感じます。例えるなら、誰かが植えた木の実を食べるばかりで、自分たちは種も植えず耕しもせず、木の実の質について語るような。そんなことですよ。