じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

Twitter禍と、Twitterがいつ終わるのかについて

 ハックルベリーさんがいつものようにおもしろい事を書いていたので、引用します。是非とも引用元にアクセスしてブクマしてあげてください。その為にこういうおもしろテクストを書いていると思うので。

ここで予言を一つ言うと、Twitterというサービスの寿命はもうあまり長くはないだろう。そう遠くない将来、誰も使わなくなる。
なぜTwitterが使われなくなるかといえば、それは人を幸せにしないからだ。人を幸せにしないサービスが長続きするはずがない。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313119770

 要するに、Twitterでは人と人の距離が近すぎて悪意が伝播しやすいですよ、という話。先生……話が長いです……*1。これには、確かに、と思う部分もありますが、疑問に思う部分も多々。
 まず、Twitterが終わるかどうかについては、まあ終わるでしょう。いつかは。ただ、いつになるかは解りません。当たり前ですが、無限に続くサービスなんてのはありませんし、拡大し続けるシステムというのも極々々々一部を除いて存在しない。原因が人間同士の禍根かどうかというのは、最終的に「幕を閉じた今考えてみたら、やっぱ人間の悪意だったのかねえ」と誰かがオチをつけるかどうかに掛かってます。ただそれだけ。ですので、この予言はほぼ確実に当たる予言です。予言する意味もない。

 もう少し突っ込みます。この文章だけ読むと、Twitterというシステムに問題があって人間の悪意が共振する、という風に捉えられるんですけど、それはちょっと違う。元々、人間が複数集まれば悪意も敵意も善意も好意も発生するものです。それが悪意の場合のみ事件性があるため取り上げられやすいというだけです。どこをピックアップするかという話。別にTwitterだけの特別な話でもないです。リンク元の発想というのは、大人の完全性を信じていた子供が大人の欠落した部分を垣間見たことで「大人なんてクズだ」と思ってしまう、思春期特有の発想に似ています。Twitterが人の心に近いサービスなだけに感情を発露・増幅させやすくなっているのは事実でしょう。ただそれはTwitterだけに限ったことではありませんし、悪意だけに限ったことでもないでしょう。面白さだってあるはずです。

 ではTwitterの面白さや悪意などは何か、というと、それは単純に人の面白さであり人の悪意です。別にTwitterの問題ではない。「Twitterは人の悪意ばかり集まるからダメだし、よって終わる」というのは、Twitterに「人間の悪意」をなすりつけて問題点の把握を怠った何の解決にもならない予言だ、ということです。

 もう少し、次はTwitter禍の話。リンク元Twitter禍として挙げられている事例は、いわゆるアホ発見器としてTwitterが大活躍している事例ですが、この原因は「Twitter初めたての人がネットでのコミュニケーションに慣れてないから」にほとんど集約されると思います。インターネット黎明期や草の根ネットワークなどの時代からネットでのコミュニケーションに触れている人は、「文字しかコミュニケーション媒体が無くしかもそれが記録される」という事態に慣れています。慣れるまではみんなどっかで痛い目を観ていたりするわけです。それに慣れてない人が今Twitterで大やけどをしてるということ。それだけです。慣れてる人はそんなアホな事態には陥らない*2。なので、このままTwitterがそれなりに流行ってネットでのコミュニケーションの面白さと難しさに人々が慣れてくれば、リンク元で挙げられているようなTwitter禍は減るかも知れません。ま、アホはどこまで行ってもアホなので、完全に無くなることはないでしょうけれど。割合は減るんじゃあないかな、と楽観的に観ています*3

 もう少し、ちょっとだけ話しがズレますが、Twitterのサービスとしての話。リンク元の話は、下手をすると『Twitterのサービスの良し悪し』として語られる可能性もありますが。ではTwitterのサービスって何?
 Twitterが提供しているものは『リアルタイムに書き込みができるポストという機能』『ポストに世界中からアクセスできる閲覧機能』『リツイートという機能』『特定のユーザーのポストのみ集めて観ることができるフォローという機能』『特定のポストにfavというマーキングする機能』『各数値がみられる』くらいですね。他にも細々とした機能はあるかも知れませんが、大体こんなもんです。
 これは、言うなれば公園を提供しているようなものだと思います。自由に遊ぶことができる広場・腰を据えられるベンチくらいの最小構成の。パブリックな場なので、誰の話も聴くことができるし、一方的に話すこともできる。そんなものです。Twitterは場を提供していますが、発言内容は提供していない。*4

 現段階で「Twitterはトラブルを産むから廃れる」というのは、馬車の時代に「車は事故を起こしたら死ぬ危険性が高いから流行らない」といってるような感じではないかな、というのがリンク元の記事を読んだ第一の感想です。

 Twitterが終わるとしたら、マネタイズに失敗するか第三者的な何かに破壊されるか、はたまたTwitterより魅力的なサービスが生まれて浸透するか、このどれかではないかなと思いますが、いかがでしょうか。

*1:ミッチーの感じで。

*2:そんなには。完全なるゼロではないでしょう。

*3:利用者が増えれば割合が下がろうともトラブルは増えるでしょうけれどね。

*4:Twitterのサービスの良し悪しが語られるのであれば、それはちょっとした事でタイムラインが止まって鯨が空を飛んだり、ふぁぼった覚えのないポストに星印がついてたりフォロー・フォロアーがいきなり0になったり、そういう事態についてですね。