じゃがめブログ

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松本龍復興担当大臣の辞任と印象政治

 松本龍復興担当大臣が辞任しましたね。この件に関して、私は「辞任させるべきではなかった」と考えています。
 何故か。それは単純な話、政治家は政治能力によって評価されるべきものだと考えているからです。

 松本氏の「先に待ってろ」「オフレコ」発言や「九州生まれ」「B型」発言などは、確かに品の良い話ではありません。恫喝とも取れる発言は確かに問題があろうと思います。ただそれだけで「政治ができない」とはまだ判断できないはずでは? もし恫喝に問題があるとするなら、私はもっと別に追及すべきだったと考えます。「政治権力を利用してマスコミを恫喝・屈服させるようなことが他にもあったのか?」ということを、です

 復興担当大臣を置いて尽力させることの目的は何か。それは当然、復興を支援することです。上品さをマスコミに披露することではありませんよね。復興支援をおこなう手腕に問題があれば交代を要求すべきですが、まだ何も始まっていない状態。何をどう評価するというのでしょうか。

 政治家に求められるのは柄の良さや印象の良さでは無く、政治的手腕です。それを一般人が、テレビの映像から得られるものの1分程度の情報からどれくらい判断できるというのでしょうか*1。私自身は現政権もいわゆる民主党議員も支持することは難しいと考えていますが、それは政権の・政治家のおこなった活動の結果や、振るおうとしている政策に問題があると考えるからです。

 今回のように、マスコミが報じる人柄や人物の印象のみで政治家としての是非や能力が語られ辞任を求められるのを観ていると、2年前を思い出します。麻生総理がマスコミに「漢字の読み間違え」「ホッケの煮付け」「カップラーメンの値段」で無駄に追及され、政治的成果を完全に無視されたことを。

 当時のネット世論では「マスコミが偏向報道をしている」という意見が多く見られたものでしたが、今回はまったくの逆ですね。これは対象が(まだ結果を何も出していないとは言え)民主党所属の議員だったからでしょうか? 印象で是非を問うている、というのはまったく変わっていないのではないでしょうか。

 今のままの民衆意識が根強くある限り、何時まで経ってもマスコミ主導の印象操作型政治は終わらないのでしょう。そんな感覚を抱かされました。


*1:確かに、メディアに対する恫喝や安易な弁明などに政治家としての能力を感じるのは難しいものがありますが