読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

子ども手当法案について願うこと

言及

前回のニュース記事をピックアップしたエントリーについて、1件の反駁がありました。
基本的にはブコメやトラバに関してはスルーなのですが、今回は「子ども手当」という最近ホットな話題ですので、乗ってみたいと思います。
まずは、こちらのエントリー→
発端エントリー : 養子縁組してまで子ども手当を受給するのは結構大変。 - la_causette
私の見解 : 最近のトピックス from はてなブックマーク - じゃがめブログ
反駁エントリー : 自治体職員の目は節穴ではないし孤児院は託児所ではない。 - la_causette

これが、今回の話題です。

私が前回主張したかったこと

私が主張したかったことは3点。
1つめは

社会通念上「生計を同じく」していると認められるだけの送金を「養子」に対し行っていたのでは元が取れなくなる」

という意見に対して、元を取ることはタイの物価上難しくないのではないか?という意見というか疑問です。これは物価を例に挙げています。
また、ありえないかも知れないですが、可能性として「寄付」という可能性もありうる、という可能性の話をしました。この可能性の話はあくまで「想像」でしかないので、何の論拠にもなりません。この部分が引っかかるのだとしたら、私の書き方が拙なかったのだと思います。

2つめは

修道院がこれらの子どもを孤児としていまだ引き受けている以上、子どもを「監護」しているのは修道院なのでしょう。

という意見に対して、「監護」とは「日本国内に住所を有する」ことが前提なので、日本の法律上「監護」にはなならないのではないか、という意見です。

3つめは、「社会通念上」という曖昧な言葉でしか「不正受給」を防ぐことができない、という状況が危険なのではないか、という意見です。


反駁をされているエントリーを読むに、おそらくはこの3つが私からちゃんと伝えられていなかったのではないかな、と感じました。

反駁エントリーに対して思うこと

細かい各論に着目するのは建設的ではないと思いますので、私が思ったことを2つを挙げさせていただきます。

  • 認識の齟齬を埋める必要性
  • 推測についての考え方
認識の齟齬を埋める必要性

地方自治体の職員は、この種の問題について、必要とされた書類を全て添付した申請書を提出されたら機械的に支給を決めるというほど甘い存在ではないという常識が共有されていないということです。

この部分に関して「こういう機構が存在し、こういうチェックがあるため甘くはない」という説明が聴きたいです。読者のどの程度がこの「常識」を理解しているのかは解りませんが、ご本人自ら「常識が共有されていない」と言われているくらいですから、それはもう「一般的な常識」ではありませんよね。でしたら、やっぱり論拠が有った方が良いと思うのです。

次に、

修道院が監護者になる、ということは日本の法律上、ないでしょう。なんせ、修道院はタイにありますから。日本国内に住所を持っている、っておかしいでしょ、っていう話。

最近のトピックス from はてなブックマーク

トラックバックをいただいたエントリーのうち、「じゃがめブログ」のものには、
(略)
との記載があります。
しかし、日本の子ども手当法は、世界中の子どもについてその監護者が少なくとも一人は日本国内にいるはずであるという現実的でない前提を基礎に置くものではありません。タイに在住する子どもの監護者がタイにある修道院であるということは十分想定の範囲内です(そして、その場合子ども手当の支給をしないことがはっきり定められています。)。

自治体職員の目は節穴ではないし孤児院は託児所ではない。

最終的な落とし所としては、「修道院は監護者にはならない(手当の支給対象にならない)」で合致していますよね?
一度「しかし」と否定語が入っていることで、私の意見とは違う、とも読めるのですが、どう読めば良いのでしょう?


こういった、細かい認識の齟齬が無くなれば、もう少し良い論議になると思いました。

推測についての考え方

とも記載されているのですが、子どもの生活費は何者からかの修道院への寄付によってまかなわれている場合、子どもを修道院に預けっぱなしの親がその子どもの生計を維持しているという話にも、その子どもと生計を同じくしているという話にもなりそうにありません。だから、上記のような読み方はありえないといえるでしょう。


では、子供の生活費相当を修道院に支払えばいいのか、ということになると、修道院の孤児院って、24時間365日子どもの面倒を見てくれる有料の託児所とは違うので、生活費が払えるくらいであれば子どもを引きとって自分で養育せよってことになるのではないかと思われてなりません

自治体職員の目は節穴ではないし孤児院は託児所ではない。

これらは推定ですよね。
これはあくまで私の主義ですが、こういった場合には「悪い方」に推定して対策をとるべきじゃないか、と思います。
政治に楽観主義を持ち込むのは大変危険ではないでしょうか。

ちなみに想像ですけど

そしてその場合、子ども手当が平成23年度以降支給されないことになっても、その子どもたちが一定の年齢に到達するまで、扶養義務が継続するのです。いやまあ、リスクが高いったらありゃしません。

自治体職員の目は節穴ではないし孤児院は託児所ではない。

そのリスクは、不正受給しようとした人間も既に考えていたのではないかな、と思います。
これは想像になりますが、「書面が偽造である」または「養子縁組を解除する方法がある」などの後ろ盾が有って、始めて不正受給に踏み切れるんじゃないでしょうか。でないと、小倉さんの言われる通り、リスクにしかならないですから。

そう考えると、今回のことはとても根が深い事のように思えるのです。

まとめて

前回も書きましたが、システムと言うのは「どのように使っても大丈夫」なように「安全装置」を仕掛けておくものです。また、不具合があったら改善をしていかなければならない。今回のことで言えば、法的な安全装置が必要であり、法律に未熟な点があれば法改正すべきだ、と考えています。

御存知の通り、人間はミスをするものです。失敗するものです。不正受給問題がこれまでも子供手当て以外にも存在していたということは、これからもミスは無いと言い切れない、ということです。ミスは完全には防ぎようがない。だからこそ「運用者」に頼り切ってしまうと言うのは危険なんです。ただでさえ、受給者殺到で受付が混乱している、という情報まで出ている状況ですから。不正受給に関するデマがその混乱を呼んでいる、という説もありますが、そもそもそんな不備だらけの法案でなければ良かっただけの話です。

私が願うのは、今回の件をきっかけに、しっかりと法改正されて、然るべきところに受給されるようになる。または子ども手当自体を廃止して、本来の用途である「子供の養育のためになる使われ方(幼稚園や保育所の拡充など)」に充てられるように、法律が変わっていくことです。

そのために、こうして議論がなされ、それを周りの人が読んで考えることで何かが得られるのであれば、このエントリーにも意味があるのではないかと思い、筆を取る次第です。