じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

ココロコネクトのドッキリが失敗した理由をお笑い理論から考えてみる

最近ブームになってるもののひとつに『ココロコネクトのドッキリ』があるようでして

 このココロコネクトというのはアニメ作品らしく、作品のスタッフが声優に仕掛けたドッキリが酷いのではないかということで話題になっております。申し訳ないのですが、このココロコネクトを未見のままドッキリについて考えてみます。

 今回のドッキリの経緯についてはこちらのサイトに詳しいようです。
【パワハラ】アニメココロコネクトのドッキリ企画が鬼畜過ぎると話題に【まとめwiki】 - トップページ


 要するに、一旦持ち上げておいて落すというのが酷い、ということですね。幾つかのサイト(こことかこことか)でもそのような結論。

 世のご意見では「一旦下げてから上げるならよかったのに」ということなんですけど、まあそうなんですよね。この辺、お笑い理論として既に提唱されている方がいるので、その方面から考えてみます。

桂枝雀さんのお笑い理論『緊張と緩和』

 桂枝雀さんが生前にお笑い理論を体系立てていて、その中に『緊張と緩和』というものがあります。緊張させておいてホッと緩和することで思わず笑いが生まれる。これが逆では笑いが生まれにくい。また、そこそこ大きな緊張状態から緩和状態に一気に持っていくことで、安堵と共に笑いが起きるという。
 更に桂枝雀さんのお笑い理論でいうと、笑いが起こるには「他人のちょっとした困り」が良いと言います。困るというのは緊張です。自分が困るという緊張は強すぎて、緩和に結びつかず笑いになりにくい。自分は困っていなくて他人は困っていると、それは他人ごとなので緩和になる。ただし、他人ごととはいえ人間はどこかで他人と自分を重ねるため、大きすぎる困りごとではこれまた緊張が勝ってしまって「笑い事ではない」となってしまう。だから「他人のちょっとした困り」がちょうど良い。そういう理屈です。

 枝雀さんはこの他にも慧眼でお笑いを分析していますが、それについてはまた今度。実によく考えられた理論だと私は思っております。
詳しく知りたい方には、こちらの本をお勧めします→ Amazon.co.jp: らくごDE枝雀 (ちくま文庫): 桂 枝雀: 本


 で、そういったお笑いの理論を踏まえた上で今回のこの件を観ると、上記の「緊張と緩和」「他人のちょっとした困り」の2つで反していることが解ります。緩和(オーディション合格)からの緊張(落選していた事実)に流れたことによって「笑い事ではない」と思わせ、困りごとが大きいために「気の毒に」と思わせた。

 これではまず笑いが起きるはずもありません。この時点でドッキリ大失敗というわけです。

 笑いが起きず、それでいて個人を貶めたような格好になっているわけですから、これはもう誰も幸せにならないですよね。少なくとも、ドッキリ仕掛けられた方と、それを観ていた方としては。だから炎上するということになってしまったと、そういうことです。
 お笑いの理論から観たドッキリの失敗の理由はこんなところです。

じゃあなんでこんなことになったのかということなんですけれど

 あくまで推測の域からは出ないものなんですけれど、私としては「笑いについての理解がない人がテレビの上辺だけ真似た」のが大きな原因ではないのかなあと捉えています。

 なんでもそうなんですけど、基本を抑えないでいて個性の強いものを真似しようとすると、その悪いところばかりを吸収してしまいます。例えば、歌が下手な人が桑田佳祐さんやミスチル櫻井さんの歌い方のアクの強いところを観て「だから上手いんだ」とばかりに吸収したとして、じゃあ歌が上手くなるかというと、まずなりません。変な癖がつくだけです。

 ドッキリの件も同じで「周到な環境を作って人を騙して公衆の面前でネタばらしをする」という部分をドッキリの要素だと考えてやったのでしょう。だけど、実際に重要な要素が手落ちになっていて、更にドッキリされた人へのフォローもおろそかだったので、残念な結果になったと。原因をたどっていくと、そういうところに行き着くのではないでしょうか。

 お笑いの理論、ひいては人間の理解を深め、誰もが笑えるような配慮をしていればこのようなことにはならなんだのでは、と、そんな印象を受けました。みなさんいかがでしょう。


 ちなみに、ドッキリに携わった人がブログにて「実はもうちょっとしたらドッキリされた人にご褒美があったので」とプレゼンしています。

今回のココロコネクトのドッキリ企画は、9月30日のイベントで完結する形になっていました。
その日に至るまで、市来くんが頑張り、各地のイベントなどで周りが協力し、
ご覧の皆様が応援してくださり、最後に皆で得る達成感と、頑張った市来くんへのご褒美。
それが、このドッキリ企画のゴールでした。

テラシマ流星群−寺島拓篤公式ブログ - ライブドアブログ

 ですが、受け手側が持ってる緊張感は既に「笑えない」のレベルになっていて「市来くんが気の毒」になっています。この状態からではもうご褒美が出たとしても笑いに繋がる緩和になることはないでしょう。フォローとしては失敗なのでは、という気がします。

余談

 下記のようなことが関係者の方から出ていました。この方々のことは寡聞にして存じないのですが、出演声優さんでしょうか。

この数日で、僕はインターネットを扱う事の難しさを改めて痛感しました。
不確定な情報が飛び交い、編集をされた言動が真実のように、
一部分だけを切り取ってそれが全部であるように伝わってしまう。
目で見て感情が伝わらない『文字』だけの情報は、人の思いや、信じる心までねじ曲げてしまう力を持っています。

テラシマ流星群−寺島拓篤公式ブログ - ライブドアブログ

何度も言いますが、ネットの情報が全てではありません。
他人が言ってた事が全てではありません。
自分の目で、耳で、ココロでちゃんと見て、自分自身で判断して下さい。
決して流されないでください。

『ココロコネクト』について|大亀あすかオフィシャルブログ「カメぶろぐ」Powered by Ameba

 確かに、インターネットの情報はすべてではありませんし、その裏側に事情というものはあるでしょう。私もこのブログやTwitterでの私の発言への反応を観ていて「いやー、違う違う! そういうこと言ってるんじゃないって!」と歯噛みすることは多々あります。伝わらないことのほうが多いですね。

 ただ、エンタテインメントとして公表されたものは「公表されたものがすべて」なんですよ。表現して公開して相手に伝わって感じられたものがすべて。エンタテインメントだけではなく、コミュニケーションも、相手に届いたものがすべてです。昔から「聞き間違いは言い手の粗相」というでしょう?

 受け取り手が多数かつ多様なインターネットですべてに対応することは不可能かとは思うのですけれどね。この辺りはインターネット時代の表現者の苦悩ということになるのでしょうか。


らくごDE枝雀 (ちくま文庫)

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