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じゃがめブログ

毒にはなるが薬にはならない、じゃがいもの芽のようなことだけを書き綴るブログです。

原因を個人に追及する『なぜ』の繰り返しはチームでおこなうべきではない

ミスしたときの「なんで?」が怖い

 上司と部下の間で『なぜ』を繰り返して問題を追及する際は、とりかかる前に『目的の共有』が必要です。その前提として『個人の能力にそれほど差は無い』ということの認識が必要です。

 チームで『なぜ』を繰り返すことの目的は環境に関する原因追及であり、原因改善による再発の防止です。見つかった原因に対して、できるだけ効率的にリソースを使って対応して再発を防止するのが目的です。

 このブログでも度々書いているかとは思うのですが、問題の原因を個人の属人的なところに求めると失敗します。属人的なことが原因だとしたら、その原因に対する改善もまた属人的なものになります。つまり、誰かを悪者に仕立て上げてその人に詰め腹を切らせるか、誰かを間抜けとしてその人に「能力の不足が原因だから頑張れ」というしかない。そうすると、上司であったり周りの人間ができることは無くなってしまいます。つまり、次回の再発防止の為に周囲ができることが無くなってしまうというわけです。これでは効率的ではありません。

 個人の能力にはあんまり差がない、というのもまた重要です。もちろん、積み上げてきた学力であったり思考の厚みによって差はあります。が、会社とかで同じグループに属している人間は、だいたい同じような能力です。飛び抜けて能力が有ったり頭がいい人間は同じ場所には集まり難いです。ということは、同じようなミスを同じような能力を持った別の人がやってしまうことだって当然有る、ということです。問題の原因をミスした人に押し付けてしまうということは、他の人が同じようにミスをして問題を起こすことを抑止しないということになります。

 よって、問題の原因を個人に追及してはならないのです。

 目的はあくまでも『環境や状況に潜む問題を追及すること』であって『ミスをした人を責めるためのこと』ではない、と共有することです。ミスした本人が自問するのは一人でやってもらうことであって、その場でやることではありません。その辺りが共有されていないと、ミスした側は詰め腹を切らされるという意識しか持てず、結果何も変わらないということになるのです。

 引用元のようなエントリーが出るということは、コミュニケーションが不足しているのではないかな、と思います。

クックパッドに載っているレシピで料理を作ってくれても嬉しい

付き合ってる子に、「これ、クックパッドに載ってたの」って嬉しそうに料理を出されても、なんだか微妙な気分になっちゃうもの。その子としては好きな人に不味いものは食べさせたくないし、料理下手だと思われたくないっていう愛情と自尊心がそれをさせたのだろうけど、食べる側にしたら少々自分の舌に合わなくたって、作ってくれただけで十分嬉しいんだから。たとえそれがどうしようもない失敗作だとしても、「どうしたらこうなるの!?」って意外と楽しくはしゃげたりもするのさ。

増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 ちょっと何を言っているのか解りませんが……作ってくれただけで十分嬉しいなら、それがクックパッドに載ってたものでもなんでも嬉しいもんだと思いますが、どうなんでしょう。

もし、クックパッド至上主義な女が嫁になって、人様の家庭のレシピばっかり毎日食卓に並んだら本当イヤ!

増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

自分流でいろいろ試して失敗したり、思いがけず美味しい味覚に出会えたりっていう積み重ねこそが、その人が作る料理の個性につながって、ゆくゆくはその人の味になるんだと思うの。

増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 この記事を書いた人は何か思い違いをしているようですが、レシピを参考にしても調味料が違う、調理器具が違う、火力が違う、タイミングが違う……様々な理由によってまったく同じ味のものはできません。それができるんだったら料理人の一流・二流とはなんなのかということになりますよね。どうやっても違いは出てくるものです。その上で、好みの方向にさじ加減を変えていくことで、個性につながっていく。

 守破離という言葉があります。何事もベースを作り、その上でベースを破ることが必要です。ベースにクックパッドを使ったっていいじゃあないですか。試行錯誤しているうちにクックパッドと異なる料理になっていきます。

 単純に便利で良いと思いますけれどもね。集合知の最たるものじゃあないですか。
 クックパッドを参考にするのがダメなんだったらkakaku.com食べログを参考にするのもダメでしょ。

 ちなみに、過去にこんなエントリーを書いていました。
 学びと真似と個性 - じゃがめブログ
 容易に学べる環境があるんだから、どんどん利用すると良いと思いますが、暑い中みなさんいかがお過ごしですか。

日傘、使っています(30代男性からのご意見)

 H-Yamaguchi.net: 「男の日傘」について
 ちょっと何を言っているのか解りませんが、『男の日傘』ではなくて『日傘』が、そもそも『傘』がダメってことなんでしょうか? ぶつかったときの危険性に性差はないことですが。

 かくいう私は日傘を使っていたりします。快適ですよ。
 まず、体調管理の面から。日差しの強い日に外を歩くと、身体の表面だけ暖められて汗をかいてしまいますよね。それで失ったものを補充するために水分・塩分を欲してしまう訳ですが、やっぱり冷たい飲み物を飲みたくなる。そうすると体の内部が冷えて表面上は熱を持っている、ということになり、これにより自律神経がおかしくなってしまいます。ダメだと解っていてもやっちゃうんですよね。ガリガリ君食べちゃう。少なくとも、私の場合は。そういう事態を避けるための日傘です。これで炎天下でもそれなりに快適にはなります。

 もうひとつ、節電の面から。日傘を使っていると身体に熱が篭もりにくいので、室内に入った時に空調の温度設定が高くても大丈夫になります。よく半袖ワイシャツを来た男性サラリーマンが室内に入ってきて暑い暑いとおっしゃってたりしますが、そら直射日光を遮蔽せずに浴び続けたら身体に熱こもるの当たり前のことです。日傘を使うなどして対策しておけば、そうなりにくい。結果、節電にもなるのでは、と考えています。小さいことですが。

 日傘にはこういったメリットもあるのですが、そういった部分が『男は日傘を差さない』というイメージを越えるのはなかなか難しいのかも知れませんね。


むしろエスカレーターを駆け上がる人が脅威だということ

標題の件、これは「エスカレーター」や「動く歩道」での話である。混雑時右側を歩いている人が、団子を抜けて先頭に立った瞬間に真ん中を歩く人が非常に多いことへの愚痴である。「邪魔なんじゃ、ボケ」。

多くのエスカレータや動く歩道では2列を想定していると思われる。事実ボケも団子を抜け出すまでは右側を歩いている、団子を抜け出した瞬間に真ん中を歩くのは頭が悪すぎる。後ろに人が居ることを完全に忘れている、自分だけ最高で、、、邪魔だボケ!

2013年7月 - だめリーマンの思考法

 『自分だけ良しということで立ち止まる人』は、電車だと迷惑だなあと感じたりもすることもありますね。電車の出入り口の辺りで立ち止まってしまって通行を止めてしまう人、それはちょっと迷惑なんですが。エスカレーターでは感じないかなあ。

 そもそもエスカレーターは歩かない想定のものなので、想像で元々の想定を変えてしまうのはどうなんでしょう。(参照) 最近だと新聞のトピックスになっていましたね。(参照)*1 この手の話はちょくちょく出ますけれど。

 私は普段はエスカレーターを使わず階段を使います。使いたいときは身体を痛めているとか体調が悪いとか極めて疲労しているとか、そういうときです。そうなったら解ると思うんですが、エスカレーターで横を猛スピードで擦り抜けていく人は脅威ですし、ぶつかると結構痛いんですよね。しかも結構ぶつかります。そらそうだ、元々2人がすり抜けるような想定で作ってないですから。

 健常でバンバン歩けるときならあんまり気にならないのかも知れないんですけれど、止まって乗る人の立場から見ると擦り抜けが脅威であることは感じられるのではないでしょうか。

 ってか、エスカレーターを歩いて登るくらいなら階段使えばいいんじゃないですか。階段を登るのとエスカレーターを登るのを比較して、必要な体力と時間にそれほど差があるとも思えませんが……。


*1:これを受けた釣り記事なのかも知れません。

本当はこういうことが言いたかった

もう既に沈静化しつつあるっぽいし、触っても大丈夫でしょうか。



お詫びする場面でよく聴くフレーズに「〜〜と言うことが言いたかった」というのがあります。この引用したツイートにも使われていますが。これ、詫びられる相手からしたら「え? で?」としか言えないですよね。だから何? って。

お詫びするときに「〜〜ということが言いたかった」というのは、不快感を覚えた相手からしたらまったく不必要な情報です。相手にとって不必要な情報だということは、あくまで詫びる側の都合の文言なのですね。「〜〜と言いたかった」というのは、うまく伝わらなかったというコミュニケーション手段を問題とする言い回しで、自分自身は悪くないよ、ということになります。また、コミュニケーションが双方向のやり取りですから。双方に問題があるというニュアンスも含んでしまう。つまりは自己弁護であり保身したい気持ちの表れなんです。この引用ツイートの場合、自分のことを『男性』と括ることで非の在り処を分散させている辺りに保身したいが滲みですぎちゃってますけれども。

そういうのって結構伝わってしまうもので、保身が伝わると謝意は見えなくなる。望ましくないことですよね。

よく言ってしまいがちなフレーズではあるんですが、そういうことを意識しつつ言葉を選ばなきゃな、と思わされるのでした。お詫びって難しいものです。


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面白い人だと思えるかどうかは思考の指向性やレベルが自分と似たところにあるかどうかによる

正直言って本を読まない人を見下している
 私は本を殆ど読まないので、この方の主張で言うと『ツマラナイ人間』になるのだと思います。返す言葉もない。

 じゃあツマラナイかツマってるか、面白いか面白くないかってなんなのってことなんですが。

 もし本を年間一万冊読んで百科事典のように知識を蓄え神がかり的に頭の回転が早い人が居たとして、ではその人を見てすべての人が面白いと思うかどうかと言えば、たぶんそうでもないですよね。「誰しもが面白いと思う対象」って実際に存在しないですし。ということは、読書量と『面白さ』はリニアな関係ではまったくない、ということになる。そういうことではなく、いわゆる『面白い人』というのは知識や考え方、頭の回転の早さが自分とだいたい似たゾーンにある人のことなのだと思います。

 知識が少なくて視野が狭い人は判断材料が少ないから、何かひとつのことに妄信的になりがちという傾向は確かにあるような気もしますが、元増田はそういう人たちとは違うゾーンにいるぞということなのでしょう。だからツマラナイし不快だという。ただそれだけのことなのかな。その「本を読まないと偏狭になる」という考え方が正しいかどうかはまた別としてね。


 付いてるブクマやTwitterのコメントは殆ど観ていないので、なぜこんなにも目に付くくらいボヤ炎上してるのかよく解らないですが、なんというか、今日もまたネットは平和だなと思ったのでした。

テンションとモチベーションについて

 テンションとモチベーションは一緒くたにされてしまいがちですが、実際はまったく異なるものです。というわけでテンションとモチベーションについて、組織内でのメンバーに気分よく動いてもらうためにちょっと考えてみましょう。視点はリーダーです。

 まず考えるのは、テンションとは、モチベーションとは何かということ。
 テンションは、体調の良し悪し、人間関係の良し悪し、待遇の良し悪しなど環境に依存します。これらの要因が『良い』で揃っていて初めて『普通』、満たされていない場合はそこからテンションがマイナスになります。
 対するモチベーションは、組織の目標点がどこにあって自らとどれほど合致しているかと、その目標に対する達成感や承認によって維持されます。モチベーションがは上下することはあっても基準以下になることはありません。モチベーションが最も低いのがゼロで、基準となるためです。

 よって、テンションを維持するためには『メンバーを取り巻く環境に着目し、環境に対してメンバーがどう考えているか』が重要になります。モチベーションを上げるためには『属している組織と個人の目標・目的をより合致させる』『達成度を客観的に観察し、達成したことに対して承認をする』ことが重要になります。期間的な面で言えば、テンション管理は短期的、モチベーション管理は長期的なものです。

 ここから導き出せることは、モチベーションを上げる方策とテンションを下げない方策はまったく異なるものだ、ということです。それらは一つの直線上にありません。ひとつの対応でモチベーションを維持しつつテンションを上げることはできません。例えばですが、『報酬を上げる』という短期的な対応では、一時的にテンションを維持することは出来ても、長期的なモチベーションを維持することはできなかったりするわけです。

 というわけで、テンションかモチベーションか、どちらかだけということではなく両輪なので、メンバーにどちらが不足しているか常に気を配り、対応していく必要があるわけです。いやまあ、それが簡単に解れば苦労はないという話なのですが。